セーゲルスタム指揮ヘルシンキ・フィルのシベリウス第2番&第6番(2005録音)を聴いて思ふ

今年は東北の地も例年に比べて暖かいようで、ほぼ残雪がない状態。
冷たい、しかし澄んだ空気の中で世界を思う。
北の地の、山の端に沈む夕陽を愛でながら、独り静かにジャン・シベリウス。

何と力強い音楽であることか。人間誰しも、いかに独立を、自由を求めているのか。
呪縛からの解放と新たな決意の表出。音の隅々まで意志が行き渡り、指揮者の強烈な求心力のもと、シベリウスの音楽が時に轟然と、時に優美に鳴り響く。レイフ・セーゲルスタムの特別な感情移入が美しい。

交響曲第2番がこれほど深く、これほど高貴に響くことがこれまであったろうか。
特に、第3楽章スケルツォからアタッカで続く終楽章アレグロ・モデラートの生命力は随一。

シベリウス:
・交響曲第2番ニ長調作品43(1901)(2005.10録音)
・交響曲第6番ニ短調作品104(1923)(2005.12録音)
レイフ・セーゲルスタム指揮ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団

交響曲第6番第1楽章アレグロ・モルト・モデラートの、漆黒の静寂に明滅する星々の光の光輝と、まるで真空の宇宙を顕すような響きは、セーゲルスタムでなければならぬ神々しさ。音楽は揺れる。何と愉しく、しかし、何てシンプルなのだろう。また、第2楽章アレグレット・モデラート―ポコ・コン・モトの、鳥が啼き、森羅万象が囁く風趣は、功成り名を遂げたシベリウスの神髄を示す。そして、第3楽章ポコ・ヴィヴァーチェの力強く加速する推進力に生きることの尊さを思う。ちなみに、終楽章アレグロ・モルト―ドッピオ・ピウ・レントは、いわば荒れ狂う動的な祈り。大自然が水の如く動き、流れ、一時として同じ場所にないことを知らしめる音調(消え入るような終止は、まさに謙虚さの顕現)。
シベリウスは交響曲第6番について次のように謳う。

現代の作曲家達は色彩豊かなカクテルを作ったが、私は冷たい澄んだ水を聴き手に提供したのだ。
(ジャン・シベリウス)

「冷たい澄んだ水」とは言い得て妙。この作品には八百万の神々が宿るのだ。

上善は水の若し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る、故に道に幾し。
(老子道徳経8章)

争わず、戦わず、万事に順応し、しかも利だけを与える水の如くの美しさ。完全なる音楽だといえよう。

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