Brad Mehldau “After Bach” (2018)を聴いて思ふ

バッハにまつわるエトヴィン・フィッシャーの言葉が的を射ていて素晴らしい。

彼の生命の木はまず過去のなかに深ぶかと根をはり、いくつもの世代をとおして、おのれの栄養になりそうなもの、健康で有用だと思われるもののすべてを集めた。こうして幹いっぱいに力を吸い、やがて、宗教という、方向を示すひとつの星に導かれて、人生にすっかり専心したのである。すべてを見渡す偉大な人間の真実さをもって彼が生みだした作品には、自然と人間とが、苦しみの時と喜びの時とがうつしだされている。このしっかりと根づいているもの、内面にあって動かしえぬもの、しかも色とりどりの人生にむかって開かれているもの、これが彼の姿の明晰さを、が、一方ではまた、比喩めいたところを、つくりあげているのである。
(渡辺健訳)

明晰でありながら、何ものにも変容せる曖昧さをもつバッハ。つまり堅牢な形を持ちながら、無限の可能性と自由がそこにはあるということだ。

バッハ以降の音楽家は大なり小なりバッハの影響を受けていることはよくわかる。
しかし、バッハ以前にバッハの影響はないはずなのに、ブラッド・メルドーは「それ」を見事に音にしているのだから驚きだ。まるで時計の針が逆に回っているのか、単に時間の倒錯、あるいは錯覚なのかもしれないが、冒頭”Before Bach : Benediction”とタイトルされた作品は現代の方法を採用する古の音楽だ。

世界は動く。一時として同じところにはない。
変転こそが歴史を創るのである。

近頃では出色のバッハ及びバッハ・パラフレーズ。
もっと自由に!と彼は叫ぶ。おそらくバッハもあの世から賛辞を送っているのではないか。隅から隅までバッハの音楽であり、また、メルドーの音楽なのである。
類い稀なるイマジネーションの力。何よりパッション、そして、内在する強力なエネルギー。それは「色気」と表現して良いのかもしれない。人と人とが交わる際に生じる官能が、メルドー独りで創出されるといういわば奇蹟。僕は金縛りに遭い、最初から最後まで感応しっ放しだった。

・Brad Mehldau:After Bach (2018)

Personnel
Brad Mehldau (piano)

メルドーが採り上げたバッハは、「平均律クラヴィーア曲集」からのいくつかだ。
第1巻前奏曲第3番ハ長調BWV848、第2巻前奏曲第1番ハ長調BWV870、第1巻前奏曲第10番ホ短調BWV855、第1巻前奏曲とフーガ第12番ヘ短調BWV857、そして、第2巻フーガ第16番ト短調BWV885の5曲。そしてそれぞれにインスパイアされた”After Bach”と題する自作の5曲と、終曲に”Prayer for Healing”。

例えば、ト短調フーガに触発された”After Bach : Ostinato”など、(陳腐な表現だが)哲学的とでもいうのか、深遠な、永遠に終わることのない生命の息吹を感じさせるマスターピース。
また、最後の”Prayer for Healing”は、文字通り(癒しの甘い)祈りであり、メルドーのバッハへの答といえよう。

かくしてバッハは一つの終極である。彼から発するものは何もなく、すべてが彼だけを目指して進む。

これは、アルベルト・シュヴァイツァーの言葉である。いかにも逆説的だが、ブラッド・メルドーは一つの終極にさらに突き詰めた一極を見出したのだと僕は思う。
完璧なアルバムだ。

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