マタチッチ指揮チェコ・フィル ブルックナー第9番(1980.12Live)を聴いて思ふ

晩年のライヴとは思えぬ、血沸き肉躍る筋肉質のブルックナー。
愛する神に捧げられた未完の交響曲が、何て嬉しそうに、何て晴れやかに躍動するのだろう。
これほど生命力のある、リズムに富んだ演奏が他にあるのか。第2楽章スケルツォが弾け、唸る。また、終楽章アダージョは、金管の咆哮からして言葉にならぬほど激しい。しかし、この緩徐楽章の内側に刻み込まれた崇高な感情の発現は、単なる無機的な激性を超えて、見事に真摯に、そして、祈りに満ちている。

前にも後にも類例を見ないほどのスケールの芸術家であり、抑制されながらそれでもなお溢れんばかりの落ち着きを持った創造的な人間が、別のときには消耗するほど足掻き、自分を失うというのか。たしかに、すべて創造的な人間は、限りなく多様な感情、心的状態、気分を再現することを委ねられている。それは彼らの内面においてそうしたことが見られるからである。しかし19世紀の巨匠のだれであれ、ブルックナーほどそうした相違が顕著であった例はないだろう。
「ブルックナー 矛盾のはざまの天才」
レオポルト・ノヴァーク著/樋口隆一訳「ブルックナー研究」(音楽之友社)P13

このあたりの性質は、おそらくロヴロ・フォン・マタチッチにも当てはまることなのではなかろうか。矛盾に満ちた、相反する色合いを持ちつつも全体を通じての統一感において、彼の右に出る者はいまい。完成された交響曲第9番。何より「間」のとり方の絶妙さ。

夢か現か、指揮者の棒が徐に下ろされるのを待つように会場から歓喜の拍手喝采が起こる瞬間のカタルシス。堪らない。

・ブルックナー:交響曲第9番ニ短調(原典版)
ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(1980.12.4&5Live)

圧倒的に素晴らしいのは、やはり第1楽章だ。
プラハの芸術家の家に激震が走る、(感情を露わにした)恐るべき爆発力。同時に、静かに、また、優しく奏でられる音響の対比こそ、矛盾のはざまの天才の創造性。音楽は揺れ、音波は引いては寄せ、寄せては引く。おそらく当日会場にいたならば、筆舌に尽くし難い感動を得られたことだろう。

不意と恐ろしいほど深い沈黙がその話し手にもおちた。何処か遠い壁の目に見えない奥で鳴いているらしい地虫の低い声が絶えまもない遠い耳鳴りに重なって聞こえるように思われた。大きなランプ・シェードがおとす淡い黄色い光の狭い区域から薄暗い蔭の部分へはいるぼんやりした境にちょうど横たわった三輪高志は長い言葉をきったまま暫く息を整えているらしかったけれども、目に見えるほどの疲労の重い翳はいままた目を閉じてしまったその瘠せて険しい顔貌の上に認められなかった。三輪高志はそのまま数年前の事態の仔細な情景を憶いだす遠い追想のなかへ沈んでいるふうであった。
埴谷雄高「死霊II」(講談社文芸文庫)P165

沈黙の中の光と翳。

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