ザンデルリンク指揮ケルン放送響 ベートーヴェン「田園」(1985.10Live)ほかを聴いて思ふ

田園交響曲は絵画ではない。田園での喜びが人の心によびおこすいろいろな感じが現わされており、それにともなって田園生活のいくつかの感情がえがかれている。
(1808年)
小松雄一郎訳編「ベートーヴェン 音楽ノート」(岩波文庫)P11

合唱幻想曲ハ短調作品80のスケッチ帳に書かれている言葉である。合唱幻想曲が交響曲第9番の「歓喜の歌」のはしりだとするならば、「田園」交響曲も大いなる喜びの讃歌だ。上記の言葉がそのスケッチに混じって書かれているのは決して偶然ではなかろう。

私見ではベートーヴェンの最高傑作。
交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」。
ずば抜けた求心力と凝縮美に満ちる交響曲第5番ハ短調作品67とは、性格がまるで正反対の双生児。

そこにあるのは崇高な精神と光に充ちた幸福感。
そして、得も言われぬ開放感と生命の喜び。どの瞬間も、人智を超えた天地の包容力と安息の、もはや人間技とは思えぬ音の綴れ織り。

第1楽章「田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め」は、ゆっくりと始まる。何という余裕なのだろう、何という大らかさのだろう。弛緩することなく、前に進み行く音楽は、地が呻くような、重心の低い低音部が強調された、確かに「目覚め」を喚起するもの。続く、第2楽章「小川のほとりの情景」は、小川というより大海原の悠久の流れを想像させる。木管群の旋律が何とも美しい。そして、第3楽章「田舎の人々の楽しい集い」での民衆の歓呼と、第4楽章の、壮絶だが、それがあくまで慈雨であることを予見するかのような温かい雷雨、または嵐。全編にわたり指揮者の思念がこもる。
最高というべきは終楽章「牧歌 嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち」。息の長い、文字通り感謝の念の集約された、人と自然、宇宙すべてを統べる音。クルト・ザンデルリンクの魔法。

この演奏に初めて触れたとき、僕は脳天に衝撃が走った。
まるでヴィルヘルム・フルトヴェングラーが生き返ったかのような、あの強烈に暗く、テンポの遅い解釈に負けず劣らずの精神性。それでいて音楽そのものは実に流れが良く、心に沁み、魂にまで届く。実演で聴きたかったとつくづく思う。

・ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
・ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調作品102
トーマス・ツェートマイアー(ヴァイオリン)
アントニオ・メネセス(チェロ)
クルト・ザンデルリンク指揮ケルン放送交響楽団(1985.10Live)
・ベートーヴェン:合唱幻想曲ハ短調作品80(ロシア語歌唱)
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)
ロシア国立アカデミー合唱団
クルト・ザンデルリンク指揮モスクワ放送交響楽団(1952.2.23Live)

同日のブラームス、二重協奏曲も素晴らしい出来。
充実のオーケストラに絡む、野太いメネセスのチェロと繊細なツェートマイアーのヴァイオリンの妙。地鳴りのように湧き起こる音楽の生命力とうねり。何よりザンデルリンクの作品に対する共感力なのか、一切の無駄ない、隅から隅まで躍動的な響き(もちろん沈潜する聞かせどころもある)。

ところで、ボーナス・トラックは1952年の、リヒテルとの共演の実況録音。
冒頭、リヒテルの奏でるピアノの澄んだ、潤いのある、しかし、強靭な音色に僕は降参だ。
この、ロシア語歌唱の合唱幻想曲は、管弦楽のいかにもソ連邦らしい強力な音に支配されるも、例の「歓喜の歌」に似た旋律が登場するにつけ、愛らしさを増す。ここにも大いなる喜びがあり、リヒテルがそれを器用に演じるのだ。

ベートーヴェンもブラームスも、こういう古いスタイルの、それでいて新鮮な、また、感動的な演奏はもはや誰にもできないのかも。名演奏である。

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7 COMMENTS

ナカタ ヒロコ

この「田園交響曲」を聴いてみました。本当に雄大でゆったりとおおらかな感じがしました。なぜだかずっと前にエーリッヒ・クライバー指揮のロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団で田園(もちろんレコード)を聴いた時の感じに似ているな、と思いました。その時もとても魅了されました。
 ザイデルリンクという人を初めて知りました。ソ連や東ドイツで活躍した指揮者なんですね。だから、というのも変ですが、スケールが違うのでしょうか。クレンペラーを補佐して後を継いだからでしょうか。ほんとに小川は大河のようでした。そして、岡本さんは「田園」をベートーヴェンの最高傑作と思われるのですね! 本当に「牧歌 嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち」は自然、人間を包み込み、神にまで達するような大きさに感動します!ミ、ド、ソだけでよくあんな感動的なメロディーができますね。「森の中で―自分は幸福だ―樹々は語る―汝を通して―おお神よ―なんと素晴らしい……」と自由帳に書いたベートーヴェンの歓びが表出しているのですね。
ご紹介、ありがとうございました。

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岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

ザンデルリンクの演奏からエーリヒ・クライバーを想像されるとは、さすがにベートーヴェン通だけあります!ディナーミクといい、アゴーギクといい、両者の演奏は外面は随分違うのですが、通底する精神はかなり近いもののように僕も思います。何より思い入れですかね。
https://classic.opus-3.net/blog/?p=19909

クルト・ザンデルリンクは本当に素晴らしい指揮者で名盤もたくさんあります。ぜひいろいろと聴いてみてください。

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ナカタ ヒロコ

岡本 浩和 様

 ありがとうございます。いえいえ、音楽の表現のしかたが違うのに、「思い出した」なんて、私はやはりいい加減なもんです。エーリヒ・クライバーの「田園」は偶然に出会い、その指揮者の名前を頭に刻んだのですが、ご紹介のページを拝読し、『第2楽章「小川のほとりの情景」でのフルートをはじめとする木管群のとろけるような美しさ、そして、旋律を歌い、静けさを強調した優しさ溢れる音楽づくり。』というところで、ハタとその時何にうっとりしたのかが思い出されました。この演奏に出合えてラッキーだったなぁ、と密かに思っていたら、岡本さんは、アナログ時代から愛聴されていたとは!!! 「運命」も聴いてみたいと思います。
 ザイデルリンクも聴いてみます。ありがとうございました。
 

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岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

エーリヒ・クライバーは第5番も素晴らしいですので、ぜひ聴いてみてください。
また感想お待ちしております。

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ナカタ ヒロコ

岡本 浩和 様
 
 クライバー・コンセルトヘボウ「5番」を聴きました。風雲急を告げるがごときの1楽章、書いておられるように重戦車のような圧倒的推進力ですね。2楽章は強弱がしなやかで表情が豊か、と感じました。今まで私の「運命」へのこだわりは第2楽章にあり、他の楽章はあまり違いが感じられなくて、どの演奏でも概ね満足できたのですが(なんという雑駁さ!)、このたびは終楽章の素晴らしさに開眼、圧倒されました。コンセルトヘボウ管弦楽団は管楽器が得意なんでしょうか。「田園」の2楽章もでしたが、管楽器が立体的に浮き上がっていて、それが「運命」のフィナーレの迫力ともなっていたような気がしました。「運命」の第4楽章をこんなに味わえたのは初めてです。やはりエーリッヒ・クライバーとコンセルトヘボウの演奏は素晴らしいです。雑駁な感想ですみません。  ありがとうございました。

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岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

>このたびは終楽章の素晴らしさに開眼、圧倒されました。

おススメした録音が貢献できて良かったです。管楽器云々については何とも返答に困るのですが、モノラルとはいえ当時のDeccaの録音陣の素晴らしさを示す一例だと思います。

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