マッケラス指揮オーストリア放送響 ヘンデル(モーツァルト編曲)「メサイア」K.572(1974録音)を聴いて思ふ

あらえびすを読む。
改訂に改訂を重ねられた、半世紀以上も前の音楽評論書だが、これほど高雅な、また説得力のある文章はない。

「救世主」が如何なるものであるかは此処に詳説する行数を持たないが、兎にも角にもこれこそは聖書の最良の註解であり、人類の持てる最高の宗教楽であることには何の疑もない。聴衆の心は感激の涙で洗われた。熱狂は嵐のようであった。
演奏が済んで廊下に出ると、一人の貴族がヘンデルの肩を叩いて言った。「非常に面白かった」と。ヘンデルは怫然色を作して、「それは残念でした。私は皆さんを面白がらせる積りでこの曲を書いたのではない。少しでも人の心を高めるために書いたのですが―」と言った。その気魄の宏大さを知るべきである。

あらえびす「クラシック名盤楽聖物語」(河出書房新社)P31-32

果たしてこのエピソードの真偽はわからない。
しかし、仮にそれが作り話であったとしても、「メサイア」がそれほどに人々の心を癒す、人類の至宝たる名曲であることに違いはない。

その中で、畢生の大傑作「救世主」の全曲に近いレコードを聴くことの出来るのは、何んという幸せであろう。このレコードに就いて私はくり返して書いているが、管弦楽と合唱団は英国のBBCで、指揮はビーチャム卿、独唱者のうち、ソプラノのラベットと、バリトンのウィリアムスがわけてもすぐれている(コロムビア)。
~同上書P34

あらえびすが推すビーチャムの「メサイア」は、エベニーザー・プラウトの編曲による、管弦楽を補完した壮麗なものらしい。ただし、残念ながらこのビーチャム盤を僕は知らない。また、プラウト版についても(たぶん)聴いたことがない。
あれこれネット・サーフィンを繰り返すうちに見つけた記事が、「『メサイア』―モーツァルト版とプラウト版の比較研究」というもの。これは読み応え十分で実に興味深い。

ヴァン・ズヴィーテン男爵の命を受け、1789年にモーツァルトが編曲した「メサイア」が素晴らしい。ヘンデル×モーツァルトの奇蹟。第1部冒頭、序曲から「魔笛」の匂いが充溢する。今にも聖なる物語が開始されるのだという、敬虔な、とはいえ、決して抹香臭くない音の狼煙。続く、テノールによる第2曲レチタティーヴォ・アコンパニャートとアリア「シオンの丘を慰めよ、と、あなたたちの神は言われる」のあまりの美しさ。ペーター・シュライアーの独唱が最高。
あるいは、第2部第18曲合唱「まことに!彼は私たちの苦悩を耐え忍び」に聴こえる、レクイエムニ短調K626の木魂!!

・ヘンデル(モーツァルト編曲):3部からなるオラトリオ「メサイア」K.572(ドイツ語版)
エディット・マティス(ソプラノ)
ビルギット・フィニレ(アルト)
ペーター・シュライアー(テノール)
テオ・アダム(バス)
レオンハルト・ヴァリッシュ(チェロ)
ヘルムート・ドイチュ(チェンバロ)
オーストリア放送合唱団
サー・チャールズ・マッケラス指揮オーストリア放送交響楽団(1974.1&2録音)

マッケラスの作り出す音楽の瑞々しさ。そして、ヘンデルにもモーツァルトにも共感する謙虚さ。音楽の喜びがある、また、音楽の崇高さ、音楽の祈りがある。

あらえびすの言葉を三たび引用しよう。

ベートーヴェンが言ったように、「此処に真理があった」のである。彼ほど男性的な、彼ほど情熱的な作曲家は曾て無かった。人間愛と信仰とがその作品を通じて、二百年後の今日まで世界の人類に呼びかける。
~同上書P33

あらえびすのこの言葉は、エベニーザー・プラウト版の「メサイア」に向けられたものである。果たして版は異なるが、マッケラスのモーツァルト版に僕は同様の思いを持つ。「人間愛と信仰」という言葉がこれほど相応しい演奏があろうか。
何より謳歌。第2部ラスト第32曲合唱「ハレルヤ!」の自然体の解放、そして、第3部終曲合唱「アーメン」のモーツァルト色に染まった音楽の荘厳さ。

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