コルトー ショパン ワルツ集(1934.6.19&20録音)ほかを聴いて思ふ

40年前、音楽にのめり込み始めた頃、1枚の同じレコードを幾度も繰り返し聴くのが習慣だった。隅から隅まで穿り返すかのように何度も聴いた。そして、寝ても覚めてもその音楽のことを僕は考えていた。今やあの頃の、あの感覚がとても懐かしい。
今は情報が多過ぎる。音源もいとも簡単に手に入る。まったく有難みがない。

当時、擦り切れるほど聴いたレコードにアルトゥール・ルービンシュタインのショパンのワルツ集があった。あれは今でも優れた演奏の一つだと僕は考えているが、かの作品に惚れ込み、いろいろなピアニストの、いろいろな演奏を聴き漁るようになって行き着いたのがアルフレッド・コルトーのそれだった。間といい、テンポの揺れといい、あの独特のルバート、言葉に表し難い洒落たセンス、そういったものは彼の数多の弟子たちに受け継がれているとはいうものの、コルトーの表現そのものは唯一無二だった。

あらえびすを引く。

ショパンの華麗さはこの十四曲の円舞曲に求めなければならない。纏まったものでは、ビクターにコルトーの「円舞曲集」が入って居る。これは実に縦横無礙の名演奏で、十四顆の瑰麗なる珠玉だ。わけても第七番目の嬰ハ短調(作品六四ノ二)の円舞曲などは、言語に絶する美しさで、一篇の劇詩に匹敵する雄弁さだ。
あらえびす「クラシック名盤楽聖物語」(河出書房新社)P158

あらえびすの審美眼はさすがといえる。しかし、嬰ハ短調ワルツは、表現の土台は変わらずとも、音楽の絶妙なニュアンス、あるいは温度感という意味で1934年のものより1929年の録音の方が優れていると僕は思う。

ショパン:
・ワルツ第1番変ホ長調作品18「華麗なる大円舞曲」(1934.6.19録音)
・ワルツ第2番変イ長調作品34-1「華麗なる円舞曲」(1934.6.20録音)
・ワルツ第3番イ短調作品34-2(1934.6.20録音)
・ワルツ第4番ヘ長調作品34-3「華麗なる円舞曲」(1934.6.19録音)
・ワルツ第5番変イ長調作品42(1934.6.19録音)
・ワルツ第6番変ニ長調作品64-1「小犬」(1934.6.20録音)
・ワルツ第7番嬰ハ短調作品64-2(1934.6.20録音)
・ワルツ第8番変イ長調作品64-3(1934.6.20録音)
・ワルツ第9番変イ長調作品69-1「告別」(1934.6.20録音)
・ワルツ第10番ロ短調作品69-2(1934.6.20録音)
・ワルツ第11番変ト長調作品70-1(1934.6.20録音)
・ワルツ第12番ヘ短調作品70-2(1934.6.20録音)
・ワルツ第13番変ニ長調作品70-3(1934.6.20録音)
・ワルツ第14(16)番ホ短調(1934.6.20録音)
・ワルツ第7番嬰ハ短調作品64-2(1929.3.13録音)
・ワルツ第9番変イ長調作品69-1「告別」(1931.5.13録音)
・ワルツ第9番変イ長調作品69-1「告別」(1949.11.3録音)
・ワルツ第11番変ト長調作品70-1(1949.11.3録音)
・ワルツ第6番変ニ長調作品64-1「小犬」(1949.11.3録音)
・幻想曲ヘ短調作品49(1933.7.4録音)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)

年代の異なる3種が収録される「告別」が聴きもの。特に、最も古い1931年の録音が持つ哀惜の念と、一層自由に飛翔する晩年1949年の演奏の比較が面白い。何とも魂だけになった、真のコルトーの音楽が溢れ出るようなのである。

ワルツを踊ったことはあるかな? ワルツを踊ってるのを見たことは? どういうダンスかは知ってるね? くるくる回って、時には柔らかく、時には物憂げに、時にはもっと素早くくるくる回る。でもリズムの性格は常に同じ。そして軽やかに・・・これはだめ・・・1-2-3、常にこのワルツのリズムで[シュトラウスのワルツを演奏](笑い声)。これと同じこと。ショパンの曲では常に民謡的な要素を考えること。様式化され、洗練されてはいても、必ず、大衆的というのではないが、国民的、民族的な要素があるはず。
(渡辺正訳)

詩情溢れるコルトーのショパンの源流には、マスタークラスでのコルトーの言葉通りとても現実的な方法がある。決して空想ではない、超リアルなショパンのワルツ。久しぶりに聴いて、あらためて心が動く。

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11 COMMENTS

ナカタ ヒロコ

 おじゃまします。聴いてみました。コルトーの演奏を聴く機会をありがとうございました。初めて聴きました。例えばチェロに於けるカザルス、ギターに於けるセゴビアのように、ショパンに於けるコルトーのことを考えていたのですが、今まで耳を傾けたことがなかったです。正直に言ってミスタッチの多さにびっくり。速すぎてよく聴き取れないパッセージもあり、すっとんでいるのでは?と思ってしまうところも。少し前にアラウのインタビュー記事の中で、アラウが、ピアニストがややもすれば精神主義に傾いてテクニック面での正確さをないがしろにしがちなことについて批判的だったことを読んだばかりだったので(例えばエドウィン・フィッシャー、ケンプ)、うーん、アラウはコルトーを聴いたらどう言うんだろう?と思ってしまいました。テンポ・ルバートも私には刺激が強すぎて、コルトーの洒落たエスプリは田舎者にはわからないのかもと意気消沈しましたが、ここで岡本さんが言及しておられる「別れのワルツ」の1949年盤にはノックアウトされました!素晴らしかったです。
 余談で恐縮ですが、ずっと前、ブーニンが評判になったころ、ブーニンの先生という人の演奏会に行きました(名前は忘れました)。トークもあり、その人はショパンを弾く至福を語ったあと、会場からの「あなたにとって目標となる最高のピアニストは誰?」との質問に答えて名を挙げたのは、「ラフマニノフ」でした。「日本はラフマニノフの弾くショパンのCDが販売されている数少ない国だから、是非聞いてください。」と言われたので、早速買い求めました。ワルツ7番も入っていたので、この度また聴きなおしてみました。当時は速すぎて違和感を感じましたが、コルトーに比べると穏便に聞こえます。ワルツ7番は理想の演奏に出会うまでどこまでも追求したくなる名曲だと思います。長々とすみません。アラウのワルツ集もあったので聴いてみようと思います。ありがとうございました。

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岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

時代の常識が異なるのでしょうね。音楽、演奏に求められていたものが明確に違うのだと思います。
今の物差しでコルトーの演奏を測ると間違いなくNGだと思います。聴いていただいてわかると思いますが、編集のない、ありのままの演奏であるがゆえの「熱さ」、「リアルさ」こそがコルトーを享受する理由のひとつなのかもしれません。
ラフマニノフの演奏する嬰ハ短調ワルツは聴いた記憶がないので言及できないのですが、この曲は本当に名曲ですよね。僕は刷り込みもありますが、ルービンシュタインの演奏が一番のお気に入りです。あ、サンソン・フランソワも素晴らしいです。

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ナカタ ヒロコ

岡本 浩和 様

 ルービンシュタインのワルツ集を聴いてみました。その技術といい、ゆるぎない自信といい、ブリリアントな音色といい、驚きの演奏でした。嬰ハ短調の7番ワルツも、最後のアルペジオ(というのでしょうか?)の下の音符が強調されてつながり、美しいメロディが表出し、哀感漂う雰囲気で終わっているのが素敵です。
 「皇帝」協奏曲、グリーグ協奏曲、ラフマニノフ2番の最初の出会いはルービンシュタインのLPだったのですが、ショパンは初めて聴きました。すごいピアニストだったのですね。
 これを機会に、身近にあるCDで7番ワルツを聴き比べてみました。といってもアラウ、リパッティ、ラフマニノフ、キーシン、ペルルミュテールですが・・・誰が演奏してもそれぞれに良さが出る曲ですね。その中で一番気に入ったのはペルルミュテールの演奏でした。派手さはないけど、謙虚でしみじみとした感じがします。
 ついでに、お知らせしたいことが…ラフマニノフのCDにはショパンのワルツ数曲の他、ノクターン、スケルツォ、ソナタ等が入っているのですが、さすがにロマンティックな曲を作曲しただけあって演奏もラフマニノフチックです。その中でノクターン2番は本当にロマンティックです。岡本様にもぜひ聴いていただきたいなぁ、と思ったことでした。失礼しました。

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岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

ルービンシュタインは「マズルカ集」がこれまた絶品ですのでぜひ聴いてみてください。
ラフマニノフのショパン作品9-2を聴きました。絶妙な「ため」がラフマニノフらしく、浪漫的でありながら決して古臭くない表現が素晴らしいですね。ちなみに、ノクターンはサンソン・フランソワがおすすめです。

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ナカタ ヒロコ

岡本 浩和 様

 ラフマニノフのノクターンを聴いてみてくださり、ありがとうございました。「浪漫的でありながら古臭くない表現」、いつもながら岡本さんの鑑賞力(?)はすごいと思いました。ルービンシュタインのマズルカ、フランソワのノクターン、聴いてみたいと思います。ありがとうございました。

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ナカタ ヒロコ

おじゃまします。サンソン・フランソワの「ノクターン集」を聴いてみました。今まで聴いたことのないような演奏で驚きました。名前は知っていたのですが、聴く機会がありませんでした。コルトーに見出され、教えを受けているのですね。音が硬質でクリスタルのように美しく、ミケランジェリの音に似ている(風貌もなんとなく)と思いました。演奏は自由自在で、ピアニストの身体の中に泉のように湧く独自の歌心があって、それがショパンを借りてどうしようもなく噴出している、というようなイメージを持ちました。おかしな表現ですが、極上のシャンソンをピアノで聴いている、という錯覚を持ちました。こんな個性的なピアニストだとは知りませんでした。この人も四十台で亡くなっているのは残念ですね。サンソン・フランソワに出会う機会をくださり、ありがとうございました。

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岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

聴いていただきありがとうございます。フランソワのショパンはほかも素晴らしいですよ(ドビュッシーやラヴェルも絶品)。機会ありましたら是非聴いてみてください。
「極上のシャンソンをピアノで聴いている」とは言い得て妙です。

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ナカタ ヒロコ

 岡本 浩和 様
 
サンソン・フランソワのショパン「練習曲集」を聴きました。どの曲も、この曲はこんな曲、という予想を裏切り、また上回る表現で、「練習曲」とは思えない、赴きのある演奏でした。音楽の表現というものの底知れなさを感じました。特に「別れの曲」の何とも言えない味わいはどこから生まれるのだろう、と不思議です。ピアノという楽器の表現の奥深さや、ショパンの作曲力(?)の素晴らしさを今さらのように感じました。
 ノクターンに戻って恐縮ですが、ポゴレリッチの演奏で、ノクターン16番(Op55-2)を愛好していたのですが、フランソワの演奏を聴き、そのあまりの違いに驚きました。2人の演奏は両極的なのかもしれませんが、ポゴレリッチの特異性を再認識したり、同じ曲でも全然違う様相を呈することに改めて感じ入りました。

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岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

フランソワの「練習曲集」も素晴らしいですね。あの解釈は天性の、ほかの誰にもまねのできないものだと思います。
確かにノクターンに関してポゴレリッチとフランソワは正反対だというのはその通りかもしれません。ただし、解釈は異なれど、ショパンに感応しているという意味では、二人とも相当なものだと思います。ちなみに、ポゴレリッチのノクターンはこれまで何度も実演で聴いておりますが、(特に昨今のものは)ショパンの枠を超えた大演奏で、ショパンをいわゆる一般的な「ショパン」として捉えていないところが彼の素晴らしさなんだと僕は思うのです。

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ナカタ ヒロコ

そうなんですね。ポゴレリッチはショパンコンクールの頃から枠をはみだしていたそうですし、それがさらに発展しているのですね。うれしいことです。どんなに超えても素晴らしい演奏になる可能性を内蔵するショパンの曲もすごいですね。またポゴレリッチの演奏に接された時のご感想を楽しみにしています!

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