
チョン・キョンファの思い出は数多い。
中でも、1989年のNHK交響楽団との協奏曲の夕べと、1998年の2夜にわたるリサイタルは筆舌に尽くし難い名演奏が繰り広げられた忘れられないひとときだった。
忘我の境地に至る彼女のステージでの姿から、そして、彼女の一挙手一投足から醸される記号化し得ない音楽の魔法を幾度も耳にするにつけ、この人は憑依体質の、特殊能力を持った人なのかと僕は何度も思ったほど。現在の彼女の創造するものとはまったく異なる強烈な音楽たち。
世の中のことが何もかも思い通りにいき、希望通りにいくとしたら、それ以上祝福された人生がどこにあるだろうか。だが人間のやることがどうして希望通りになし遂げられよう。暖かい太陽が照る日もあれば、嵐が吹き荒れる日もあるものだ。
世界を自分のふところに入れようという大志を持って、見知らぬ国で留学生活を送る子供たちだ。人知れず流した涙、背中を向けてかみしめた唇を誰が知ろう。一人だけの孤独な闘いに慣れた子供たち・・・特に芸術家の道を歩いて来たミョンファ、キョンファ、ミョンフンが経なければならなかった産みの苦しみは、並大抵のものではなかった。子供たちが時には挫折し、絶望し、傷を負って痛がるのをみて、その痛みを一緒に分かち合えないのがもどかしかった。そして親として、してやれる最善のことが何かを考えて苦しんだ。
~李元淑著/藤本敏和訳「世界がおまえたちの舞台だ」(中央公論社)P142
四半世紀前に出版されたこの本をはじめて読んだとき、天才も最初から天才などではなかったのだということと、姉妹弟たちが体験した様々な苦悩や挫折がその後の彼らの芸術の血となり肉となっている事実に僕は感動した。
サン=サーンスはシューマンを模範とするようだ。
チェロ協奏曲の構成は、ほぼシューマンの相似形であるのと同じくし、第1番イ長調第1楽章アレグロ冒頭は、まるでシューマンのピアノ協奏曲をなぞるかのような音楽。デュトワ指揮モントリオール響をバックに得てのキョンファの爆発力に富むヴァイオリンは、まさに若き日のチョン・キョンファの音。
東京ではホテル・ニューオータニの廊下でドアが激しく音を立てて閉まった。彼がかたくなに口をつぐんでいるので、マルタは荷物をあさり、ついに証拠となる手紙を手に入れた。彼の顔に結婚指輪—彼女が一生で身につけた唯一の指輪だった—を投げつけ、ヨーロッパ行きの最初の飛行機に乗った。韓国人ヴァイオリニスト、キョンファ・チョンからの手紙だった。素晴らしい演奏家で、指揮者のミュンフン・チョンの姉でもある。「彼の一番の愛よ」とはマルタの弁だ。その口調に棘はない。そのあとすぐ、何時間も彼女の話を電話で聞いてくれたスティヴン・コヴァセヴィチとよりを戻すことになったので、一方的に責めたくないという気遣いがあるのだろう。
~オリヴィエ・ベラミー著/藤本優子訳「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」(音楽之友社)P192
おそらく当時恋愛関係の続いていたであろうチョンとデュトワの丁々発止の音楽的対峙は、ショーソンの「詩曲」に一層色濃く表れる。音の、フレーズの隅々に色気が充満しているのである。
それに、ローレンス・フォスター指揮ロンドン響とのサン=サーンスの第3番ロ短調の充実ぶりがまた素晴らしい。チョン・キョンファの音楽への没入ぶりというのか、第1楽章アレグロ・ノン・トロッポのこれ以上ないというほどの熱気とパワー、そして、第2楽章アンダンティーノ・クワジ・アレグレットの愛らしい旋律をたっぷりの想いを込め奏する様子の慈悲深さ。白眉は終楽章モルト・モデラート・エ・マエストーソ―アレグロ・ノン・トロッポ。何という激しさ、何という爆発、そして、何という圧倒的な歌!
彼女のすべてがここに詰まっていると思う。