十日後、スコット・ラファロは両親が住むニューヨーク北方のジニーヴァに向かって車を走らせていた。街灯のない田舎道、ルート20を東へ向かっていたラファロは、途中で方向を誤り、木に激突、即死した。
この知らせを聞いたエヴァンスとモチアンは取り乱した。ラファロの死はメンバーを失ったという悲劇だけではなく、このベーシストをまるでもうひとりの自分と見なしていたエヴァンスにとって、理想的なトリオの終結であった。
~ピーター・ペッティンガー著/相田京子訳「ビル・エヴァンス―ジャズ・ピアニストの肖像」(水声社)P139
人の命の儚さを思う。しかしながら、短期間とはいえ彼ら3人が一堂に会し、ヴィレッジ・ヴァンガードという小さなクラブで筆舌に尽くし難い、生々しい演奏を繰り広げてくれたこと、そして同時にそれが録音として残されているという奇蹟に感謝したい。
このトリオのすごいところは、セッションを重ねる毎に、放出されるエネルギー、波動が見事にピュアになっていくところだろうか。昼夜を問わず、一日に幾つもセットを重ねれば、疲労が見え、音の濁りやアンサンブルの粗さが散見されるようなるというのが常だが、ビル・エヴァンス・トリオはさにあらず。特に、スコット・ラファロの繰り出す驚異のベース・ソロ!芯の強さと音の柔らかさ、あるいは官能、同時に、極めて音楽的で革新的なコード進行の絶妙さ。
実際にこの日のセットを聴いた当時高校生だったピーター・ティトルマンの報告には次のようにある。
ラファロ、モチアン、そしてエヴァンスはそれぞれ独自のスタイルを持っていたが、なぜか同じタイミングで演奏していた。彼らは全員が集中して常に自分自身のなかへ深く入り込んでいるようだったが、他のふたりの演奏に耳を傾けながら相互に反応し、まるで超生命体の様だった—たぶん、そうだったのだろう。つまり、感情に操られた関係のように、存在、もしくは作用し合っていた。ビルは鍵盤の上に覆い被さり、彼の指は常にとても平べったく、曲げられていないようだった。
~同上書P136
エヴァンスが、まるでホロヴィッツのような演奏法であったことがわかる。高校生ながら、実にリアルで的を射た観察眼に驚きを隠せない。
Personnel
Bill Evans (piano)
Scott LaFaro (bass)
Paul Motian (drums)
後のインタビューでエヴァンスの語った言葉が、この唯一無二のトリオの驚異を鋭く示す。そこには、各々が自律的でありながら、一体となって世界を動かそうとした大いなる意思があった。まさに、理想的な組織の姿であると言えまいか。
あのトリオの特徴は、共通した目的と可能性を感じていたことだ。われわれが演奏するにつれ音楽は発展し、実際の演奏を通じて形になっていった。信頼のおける形で結果を得るのが目的だった。もちろん、リード楽器だったので、私が演奏を整頓した形になったかもしれないが、独裁者になるつもりはなかった。もし音楽自体が応答を引き出せないのなら、それには興味はない。スコットとポールの両者に会えたことが、私の経験に一番影響を与えたと思う。あの日レコーディングした内容に感謝している。
~同上書P139-140
音楽そのものの外見は、安寧であり、また静謐、甘美なのだが、内なるパッションは途轍もなく熱く、また有機的で厳しい。確かにエヴァンスが言うように、彼のピアノがリード楽器であるのだが、そこにはラファロの自由奔放なベースがあり、モチアンの地を揺るがすドラムスがあったからこその奇蹟的調和と統合がれっきとしてあった。
ラファロの作曲した名作”Gloria’s Step”の3つのテイク、そして2つの”Jade Visions”が切なく、あまりに美しい。