ヴィトマン ハーゲン・クァルテット ブラームス五重奏曲ほか(2011.6録音)を聴いて思ふ

易々と、しかし実に音楽的な響きを醸すクラリネットの音に僕は感激した。
昨年、イェルク・ヴィトマンの演奏を聴いて即座に感じたのはそのことだ。彼は常に「新しい響き」を希求する。それも、いかにも楽しんで。
また、ブーレーズの、どんなに高齢になっても好奇心旺盛で、若い人から常に何かを学びとろうとしたその姿勢を尊敬したヴィトマン。彼も、想像を片時も忘れず、常に創造の中にあるのだという。すべてが他人事ではないのである。

昨年聴いた、ハーゲン・クァルテットのヴェーベルンやベートーヴェンの後期四重奏曲は、張り詰めた緊張感と言葉にならない透明感を獲得していた。あの、澄んだ音圧は、いまだにぼくの耳の奥底に残っているほど。いつぞやのシューベルトやショスタコーヴィチも名演奏だったが、少なくともベートーヴェンの作品131はそれらを凌駕した。

イェルク・ヴィトマンとハーゲン・クァルテットによるブラームスの五重奏曲は、ザルツブルク音楽祭で共に披露したことをきっかけにレコーディングにつながったものだという。それは特別な体験であり、必然だったとヴィトマンは語り、ヴェロニカは5人が同じ言語を話し、そこには筆舌に尽くし難い固い絆を感じたとまで語る。
過去への憧憬と未来への希望が詰まったブラームスの五重奏曲は、クララ・シューマンへの愛だ。

晩年のブラームスの内なる浪漫を描いた「歌」が、何と新鮮に響くことか。
そこにあるのは、あまりに人間味、人情味たっぷりの、人生の黄昏を過ぎゆく老大家の現世へのある意味執着かもしれぬ。第1楽章アレグロから重厚な弦の響きを伴奏に、ヴィトマンのクラリネットが時に絶叫、時に沈潜する様。第2楽章アダージョは、文字通り「回顧」と「悔悟」の波動。特に、ヴィトマンの独奏は赤裸々だ。流れゆく第3楽章アンダンティーノの温かさ、そして、終楽章コン・モートの、まだまだ生きんとする活力にブラームスの強靭な(?)生命力を思う。

イントロスペクティブ/レトロスペクティブ
・グリーグ:弦楽四重奏曲ト短調作品27
・ブラームス:クラリネット五重奏曲ロ短調作品115
ハーゲン・クァルテット
ルーカス・ハーゲン(第1ヴァイオリン)
ライナー・シュミット(第2ヴァイオリン)
ヴェロニカ・ハーゲン(ヴィオラ)
クレメンス・ハーゲン(チェロ)
イェルク・ヴィトマン(クラリネット)(2011.6録音)

一方のグリーグの四重奏曲を、「内省的」と題したハーゲン・クァルテットの妙。
そもそも1877年から78年の間に生み出されたこの曲は、両親の死と妻との関係悪化という最悪の時期のもので、それゆえか、音楽は彼のほかのどのものよりも心に響く。
第1楽章ウン・ポコ・アンダンテ—アレグロ・モルト・エド・アジタートのそこはかとない慟哭の表情は、ハーゲン・クァルテットならではの音。また、冒頭のチェロによる主題提示が美しい第2楽章ロマンツェの愛らしさと激動。第3楽章インテルメッツォを経て終楽章レント—プレスト・アル・サルタレロは暗く、悲しいが、時に明るく愉悦の音が錯綜し、クレッシェンドで爆発する瞬間の解放と昇華にエドヴァルド・グリーグの才を思う。

天のまさに大任をこの人に降さんとするや、必ずその心志を苦しめ、その筋骨を労せしめ、その体膚を餓えしめ、その身を空乏にし、おこなうこと、そのなさんとする所に払乱せしむ。心を動かし、性を忍ばせ、その能くせざる所を曾益せしむる所以なり。
(孟子)

大任を担ぐべき者に艱難辛苦は必然だと孟子にはある。
だからこそその成果物は美しくも強力なのだ。

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