フィッシャー フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管 ベートーヴェン「皇帝」(1951.2録音)を聴いて思ふ

何か恐ろしい事件が起こっても、また狼狽したりしないだけの自分を天は与えてくれました。—数百万という人々が同じくしている運命のなかで自分のことを心配していられますか。
(1808年5月26日付)
小松雄一郎編訳「新編ベートーヴェンの手紙(上)」(岩波文庫)P178

覚悟を決めた人間の底力。
天がまさにベートーヴェンに味方したかのように、彼の生み出す当時の作品群には、(目には見えない)偉大な力が秘められる。

もう40年も前のこと。確か高校1年生の時だったと思う。
フィッシャー&フルトヴェングラーによるベートーヴェンの協奏曲「皇帝」のアナログ盤を繰り返し聴いてはまった。特に、第2楽章アダージョ・ウン・ポコ・モッソの幻想性に僕はメロメロだった。

ゲーテは言っている、

大気を吸い、また吐き出す
呼吸のなかには二つの恩寵があるのだ
吸い込めば圧迫され、吐き出せば爽やかだ
生命はげにも不可思議に混和されているではないか
神意による運命の抑圧のもとにあるとき
君は神に感謝したまえ
そして解放されたときにも
神への感謝を忘れたもうな。

メロディー、リズム、和声、調性、カデンツ、形式など、音楽のあらゆる要素は、呼気と吸気、昼と夜、強音と弱音、高音と低音、漸強と漸弱、錯綜と融合、この永遠の交替によって生きているのである。
エトヴィン・フィッシャー/佐野利勝訳「音楽を愛する友へ」(新潮文庫)P24-25

宇宙が二元の中にあり、音楽こそが真理を顕す一つであることをもちろんゲーテは知っていた。エトヴィン・フィッシャーも、またヴィルヘルム・フルトヴェングラーも。

・ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」
エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管弦楽団(1951.2.19&20録音)

速めのテンポで颯爽と、無理なく奏される第2楽章がことさら美しい。
呼気と吸気の見事な交替。この、何でもない、自然体こそがベートーヴェンの究極の姿なのである。ここでは主導権を握るのはフィッシャーで、フルトヴェングラーもある意味大人しい(僕はブライトクランク盤の人工的ながら拡がりのある音響が好き)。

40年前のことを思い出す。
本当は純真で無垢なくせに、しかし一方、斜に構え、背伸びをしていた頃の自分。何て素晴らしい演奏。何て美しい音楽。すべては僕の原点だ。

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11 COMMENTS

ナカタ ヒロコ

おじゃまします。
フィッシャー・フルトヴェングラーの「皇帝」を聴いてみました。私は昔、テレビから流れてくる2楽章のピアノの旋律に耳を奪われからというもの、その時の感銘の再現を求めて「皇帝」を聴くようになってしまいました。フィッシャーの演奏は岡本さんが書いておられるように「速めで無理なく自然体」で、私が求めてきた方向とは違っていましたが、しみじみとした美しさがあって少し驚きました(特に「シソ―ファファミレ」の高いソの音が)。
 エドウィン・フィッシャーといえば、バッハの「平均律クラヴィーア集」を聴いた時、その名前を知りました。フーガの構築が見事(?)でした。
 それにしても、ベートーヴェンがこの曲を作ったころは、ウィーンはナポレオンの軍隊に蹂躙されている最中で、爆音の中での大変な毎日だったそうなのに、なぜこんな堂々として美しい曲ができたのでしょうか。愛国心や人間としての誇りのような気持ちがさらに高まっていたからでしょうか。この曲の初演は不評でベートーヴェンが生きているうちに再演されることはなかったそうです。ピアノ独奏はベートーヴェンが爆音で耳をさらに悪化させたため、初めてベートーヴェン以外の人が務めたそうで、不評だった原因はそのせいでは?
 この曲は今に残っているのはリストが好んで演奏してくれたからだそうです。またグダグダと、すみません。

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岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

協奏曲「皇帝」の後にベートーヴェンは6番目の協奏曲を書こうとしたものの、結局スケッチだけで途中放棄したようですね。それだけ革新的かつ完璧な筆致なので、おそらく当時の人々には新し過ぎて不評だったのかもしれません(もちろんベートーヴェン以外のピアニストが独奏を務めたせいもあるでしょうが)。

ベートーヴェンにとって重要なことは内側の声だけで、外部で何が起ころうと所詮は構わなかったのだろうと思います。外は戦争でも内は平和であったのでしょう。

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ナカタ ヒロコ

追伸  「ブライトクランク盤」とはどんなものですか。岡本さんご紹介のCDがそれですか? その他の盤は音がちがうのでしょうか? すみません。

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岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

はい、こちらで紹介している盤こそエレクトローラ社の開発したブライトクランクを本にCD復刻されたものです。簡単に言うと、モノラル録音に電気処理をしてステレオ的拡がりを付加した(通称疑似ステレオ)、今となっては賛否両論の代物です。通常のモノラル録音がより自然の音に近いのですが、空間的拡がりや微妙なエコーの加減が僕は好きで愛聴しております。

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ナカタ ヒロコ

岡本 浩和 様

 お応えありがとうございました。よくわかりました。私も聴いてみたいものです。
 ベートーヴェンの心の平和、納得です。そのことでは難聴も幸いしたかもしれません・・・か?

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岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

難聴はベートーヴェンの人生にとって、いろいろな意味で「幸いした」と僕は思います。
難聴初期の苦悩を何とか乗り越えられたことが彼にとって一番の収穫でしょうか。

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ナカタ ヒロコ

この「ブライトクランク」盤を取り寄せて聴いてみました。正直に言うとモノラル版とのあまりの違いに驚きました。同じ演奏が施す音響的処置によってこんなにも違って聞こえようとは!・・・まあ、当然と言えばいえるかもしれません。ごつごつしたピアノやオーケストラの音がソフトでなめらかに外へ広がる印象で、今までの演奏の性格まで変化している感じがしました。(同じ演奏かどうか代わる代わる何度も聴いてしまいました。)「ブライト・・・」は耳に心地いいですね。貴重な経験をありがとうございました。

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岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

早速聴いていただきありがとうございます。
おっしゃるように、モノラル盤とはまったく印象が違って聞こえます。
よりオリジナルに近い音はやはりモノラル盤なので、僕はブライトクランクとモノラルとの両方を備え、気分によっていずれかを選択して聴いてきました。フルトヴェングラーのEMIでのスタジオ正規録音はブライトクランク化されているものが多いので、いずれも耳に心地良い響きを持っていておすすめです(特にベートーヴェンの交響曲)。機会があればまた比較試聴してみてください。

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ナカタ ヒロコ

岡本 浩和 様

 お応えありがとうございました。モノラルとブライトクランクを気分によって聴き分けておられる、そんな楽しみ方もあるのですね! モノラルが実際の音に近いということですが、生の音は多重に聞こえるのでステレオに近いと思うのですが、モノが実音に近いのはなぜでしょうか? フルトヴェングラーのベートーヴェン交響曲をブライトクランクでいつか聴いてみたいと思います。ありがとうございました。

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岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

モノラル盤は、レコード芸術という意味でより原音に近いということです。もともとがモノラルでの録音ですからね。そこに電機処理でステレオ感を創出しているのがブライトクランクですからあくまで人工的なものです。

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ナカタ ヒロコ

岡本 浩和 様

 なるほど、わかりました。ありがとうございました。

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