
中庸の目を保つことはとても難しい。
他人のことはわかっても、得てして自分事となると人は大抵真っ暗闇になる。だからこそ対話が必要で、また素直に聴ける姿勢が大事なのである。
クラウディオ・モンテヴェルディ。
ヴェネツィアの聖マルコ寺院の楽長として長きにわたる職務の中で書き溜められたという、40曲に及ぶ「倫理的・宗教的な森」は、1640年にまとめられ、出版されたものである。どこからどのように切り取って聴いても、心に沁みる「歌」の宝庫。それは時に高貴なものであり、また、時に俗的な響きを見せる。そこには間違いなく中庸があるように僕は思う。
6枚に及ぶセットのどこからどのようにひも解いても、心洗われ、静けさを喚起する。
何という不可思議。
梅雨が明けたその日の夜更けにクラウディオ・モンテヴェルディの崇高な調べ。
(約380年という)時空をまたぐ、憂いある音色、喜びの歌、すべてにコルボの魂の刻印が感じとれる一世一代の曲集だと断言しても良い。
雨は愛のやうなものだ
それがひもすがら降り注いでゐた
人はこの雨を悲しさうに
すこしばかりの青もの畑を
次第に濡らしてゆくのを眺めてゐた
雨はいつもありのままの姿と
あれらの寂しい降りやうを
そのまま人の心にうつしてゐた
人人の優秀なたましひ等は
悲しさうに少しつかれて
いつまでも永い間うち沈んでゐた
永い間雨をしみじみと眺めてゐた
「雨の詩」
~室生犀星「抒情小曲集・愛の詩集」(講談社文芸文庫)P149-150
愛のある音楽は美しい。