Music From The Original Motion Pic “IMAGINE John Lennon” (1988)を聴いて思ふ

冒頭に流れるむき出しの”Real Love”に僕はとても感動した。
それに、それまでほとんど美化され過ぎていたジョン・レノンの「そうでない姿」を多少なりとも観ることができ、僕はとても良い映画だと思った。もう30年も前のことだ。

この世界に完全な聖人などいようはずがない(そんな人はすぐにお迎えが来るというもの)。どんなに優れた人でも過ちは犯す。大事なことは犯した罪を素直に認め、懺悔できるかどうかだ。嘘が一番怖い。

久しぶりにオリジナル・サウンドトラックをひも解いた。
頂点を極めていた頃の、そして、グループが一丸だった頃の傑作たちも、ジョンがヨーコと一緒になった後のビートルズとしての問題作たちも、もちろんソロになった後の作品たちも、どれもが時間と空間を超え、真新しい光輝を放っている。”Twist and Shout”のエネルギーはいかばかりか。”Help!”は相変わらずかっこいい。

ちなみに、ジョン以外のメンバーがたとえ不本意であったとしても”The Ballad of John & Yoko”は、ビートルズの最高の名曲の一つであると僕は思う。”Julia”など、聴いていて涙が出てくるくらい(いずれもヨーコなくして生まれ得ない作品たち)。

・Music From The Original Motion Pic IMAGINE John Lennon (1988)

“Imagine”のリハーサルの、赤裸々なジョンに心動く。
そして、今の僕を最も刺激するのは”Give Peace A Chance”でも、”Stand By Me”でも、”Mother”でもなく”God”だ。

God is a concept by which we measure our pain.

僕たちは思考の中にあり、いかにその思考に苦しめられているか。
ジョンは最後に悟る。ベートーヴェンが辞世の句で語ったと同じように、夢は終ったと(ただし、自分とヨーコだけが現実だというのはあまりにナルシスティックでいただけない)。

ジョン・レノンの、いわば奇蹟をまとめて聴いて思うこと。
彼こそがそもそも「夢」であり、また「幻」であったということ。

しかしなんといっても、ビートルズの影響力は絶大だった。ビートルズの音楽は、さまざまな異なる音楽を吸収・融合したものである。彼らの音楽の間口はきわめて広く、イギリスのヴォードヴィル音楽から、スウィングやロックン・ロールにいたる、あらゆる種類のポップ・ミュージックがそこに吸収された。さらに彼らは、クラシックの室内楽や、電子音楽・テープ音楽の手法まで、どんどんとり入れていった。そして彼らは、こうした異質な様式を、細心の録音技術を駆使しながら、みごとに融合させてみせたのである。
E・ソーズマン著/松前紀男・秋岡陽訳「音楽史シリーズ 20世紀の音楽」(東海大学出版会)P336

録音技術の急速な発展がビートルズの芸術の幅を広げたという事実が興味深い。

そしてついに、1963年の終わりに向って、私のたび重なる要請にビートルズの成功が拍車をかけて、EMIは近代レコーディング技術の仲間入りをすることになった。私たちはアビイ・ロード・スタジオに4チャンネルの録音装置を導入した。長い道のりだった。
ジョージ・マーティン/吉成伸幸・一色真由美訳「ザ・ビートルズ・サウンドを創った男―耳こそはすべて―」(河出書房新社)P216

1967年、待望の8トラック・システムがイギリスに届いた。そのころまでにテープの材質は大幅に改良され、それまで使っていたのと同じ1インチ幅のテープに、8トラック全部がパックできるほどになっていた。ただし、一歩日本のトラック幅が等分されて半減したのはもちろんのことである。ここまでいうと、おかしなことに気がつくと思う。昔、2トラックで録音していたころは、4分の1インチ幅のテープに2本トラックが入っていたわけだから、それならなぜ1インチ幅に8トラックが不可能だったのか?
理由はひとつ、テープ自体のノイズの問題である。

~同上書P219-220

そこには天才プロデューサー、ジョージ・マーティンの慧眼が間違いなくあった。音楽も夢なり。

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