フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル ベートーヴェン「英雄」(1944.12放送録音)を聴いて思ふ

ナポレオン・ボナパルト生誕250年の日。

もう40年も前のこと。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮するベートーヴェンのエロイカ交響曲の、1944年放送録音を初めて聴いたときの衝撃は今でも決して忘れない。何度も繰り返し聴くうちに、最初のその感動はすっかり醒めてしまっているものの、それでも阿修羅のごとくの、そして、血沸き肉躍る、生命(いのち)蠢く奇蹟の演奏に、一期一会の素晴らしさと、シンフォニスト、ベートーヴェンの偉大さを僕は心底痛感したことが昨日のことのよう。以来、フルトヴェングラーのベートーヴェンにはまり、漁るように聴いたあの日々。今となってはすべてが懐かしい思い出だ。

ナポレオンが皇帝に即位したことに幻滅し、ベートーヴェンがこの交響曲の献呈を即座に破棄し、「とある英雄の思い出に」としたことは有名なエピソードだが、果たしてそれは本当の話なのかどうか。逸話の多数残るベートーヴェンのこと、そこには弟子の創作もたぶんにあるだろうことが想像でき、話半分に理解しておいた方が良いのではないかと僕は思うほど。それに、残された手紙の類や諸々資料をひっくり返してみても、曖昧な点もとても多く、彼の人生の深層までを明らかにするのは極めて困難なことからも、ベートーヴェンの「こと」は誰にも知る由のない「闇のこと、あるいは神のみぞ知る機密」くらいに思っておいた方が、彼の作品を大いなる想像力をもって享受できるとさえ思うのである。神秘的、それこそが「楽聖」と称されるベートーヴェンの本懐である。

・ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1944.12.19&20放送録音)

フルトヴェングラーのエロイカはどれもが人後に落ちない名演であり、残された録音は一つ残らず名盤であると僕は思う。しかし、その中でも飛び切りのパッションとエネルギーに溢れるのが有名なこの放送録音なのである。生き物のように揺れ動くテンポに、光と翳の妙、そして何よりベートーヴェンがこの作品に託した熱意と希望、すべてが完璧に表現される「奇蹟」。久しぶりに耳にして僕はあらためて感動する。

この有名な録音は数多の盤がリリースされているが、決定盤は2011年にTahraからリリースされたSACD hybrid盤だろう。かつてのアナログ盤にあったピッチのずれはもちろん修正され、音質も格段に良くなっている(戦時中のものとは思えないクリアさ)。

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6 COMMENTS

ナカタ ヒロコ

おじゃまします。フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル ベートーヴェン「英雄」(1944.12放送録音)のCDを聴いてみました。なにかすごいものを聴いた、と思いました。最近聞きなれていた颯爽として品のある演奏スタイルと違い、沈鬱で重々しい音響。何か重戦車の走行のようなものを感じるような1楽章、英雄の死に絶望的し悲嘆にくれ、弔い合戦への気概をかき立てるが、やはり沈痛な喪失感の中に打ち沈む2楽章、勇ましく雄々しく堂々と展開していく闘いの3楽章、時には讃え時には哀しみ、人間の闘争を俯瞰する神の目を感じさせるような4楽章…1944年という戦時下だからでしょうか。フルトヴェングラーの指揮にこの戦争への思いが強く込められていたのでは?と思いました。テンポがフルトヴェングラーの自由自在に変化し、弱音から強音まですごい勢いで白熱していく、など指揮者の感情が渦巻いているようでした(その指揮棒についていったウィーンフィルもすごい)。改めてベートーヴェンの創造力に驚嘆すると共に、この演奏にはベートーヴェンも吃驚したのではないかと… 貴族社会を打破して市民が主人公の社会をヨーロッパにもたらす英雄としてのナポレオンの進軍に胸を熱くして作曲したこの交響曲。現代のスタイリッシュな演奏とナポレオンのかっこよさを彷彿とさせます。でもこのフルトヴェングラー・ウィーン1944は… ベートーヴェンは自分の死後100年にヨーロッパを世界大戦の嵐が吹き荒れることは知る由もなかったでしょう。名曲は懐がいくらでも深くなる、ということでしょうか。勝手なことをえらそうに書き散らしてすみません。
 岡本さまは、「神秘性こそがベートーヴェンの本懐」と言っておられますね。本当にそうですね。でもやはり私は真実が知りたい、真実に一番近いことが知りたい、例えば「不滅の恋人への手紙」は誰に宛てたものかどうしても知りたい、と思ってしまいます。でも決め手がないので、自分が最も信じたいように信じることができる、というところがまたベートーヴェンの魅力なのかもしれませんね。それにしても「残された手紙の類や諸々資料をひっくり返してみ」た岡本さまはすごい、尊敬です。
 この演奏を聴く機会をありがとうございました。私が聞いたのはこのSACD版ではないので、もしこれを聴いたら、耳から鱗かもしれませんね。

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岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

初めて聴いた「エロイカ」はフルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルの1952年正規録音盤でした。2番目がこの1944年盤で、同じ指揮者でもスタジオとライヴとではこれほどまでに表現が異なるものなのか驚いたものでした。フルトヴェングラーの刷り込みは半端なく、以来、他のどんな指揮者のどのような演奏を聴いてもいまひとつだと思ってしまうのがなかなか難儀なところです。(笑)

今回のコメントでもナカタ様のベートーヴェン愛は炸裂していますね。
フルトヴェングラーのこの録音を聴いての的を射ての感想がとても素晴らしいと思います。
それに「岡本さまはすごい、尊敬です。」とおっしゃいますが、ナカタ様の情熱にはたぶん負けると思います。

機会ありましたらSACDもぜひ聴いてみてください。
ありがとうございます。

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ナカタ ヒロコ

岡本 浩和 さま

 フルトヴェングラー・ウィーン1952年録音「英雄」を聴きました。岡本さまのおっしゃるとおりかなり趣きが違いますね。ライブだと、聴衆の熱気との相乗効果でどうしても白熱するのでしょうか。(あのグレングールドでさえサービス精神が出ているそうなので。)あの1944年の阿修羅の様な鬼気迫る「英雄」の演奏の2ヶ月後にフルトヴェングラーはスイスに亡命しているんですね。ナチスに目をつけられて逮捕状が出ていたとか。そのような自分の生命も危うい切羽詰まった世相で、それもナチスによって解散させられそうだったのを自分が守ったウィーンフィルと一緒に演奏する「英雄」。フルトヴェングラーはどんな気持ちだったのだろう、と今さらのように興味が出てきました。戦後、身の潔白も証明されたあとにまたウィーンフィルと演奏する「英雄」。そんなところにも1944年と1952年の演奏の趣きの違いが表れているということはないでしょうか。岡本様はどう思われますか?
当時の演奏家たちのそれぞれの戦前と戦後の音楽への向き合い方にはどんな変化があったのか、考えてみれば、本当にドラマチックで興味が尽きませんね。
 岡本さまは「英雄」の刷り込み(すみません)がフルトヴェングラーだったとはすごいですね。私は大学生になるまで知りませんでした。私が初めて聞いた「英雄」はミュンシュ・ボストンで、愛好していましたがミュンシュでなきゃとまではいきませんでした。その後フルトヴェングラーの素晴らしさを聞くたびに、あまりピンときていない自分がちょっと悲しかったのですが、このたびの1944の迫力はすごかったです。ありがとうございました。
 今年はナポレオン生誕250年なんですね。ということは来年はベートーヴェン生誕250年!どうしましょう。
 いろいろとご示唆くださり、感謝します。

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岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

早速に聴いてくださりありがとうございます。
ご指摘のように大戦中、そして戦後という時代背景と指揮者の心境も演奏には反映されているかもですね。それと、フルトヴェングラーは1952年7月に病に倒れ、11月まで病床にあり、退院後すぐの録音が1952年の「エロイカ」ですからその影響もたぶんにあると思います(クラウディオ・アバドのように癌を克服し、復帰後演奏スタイルが大幅に深化したというケースもあります)。

ところで、ミュンシュ指揮ボストン響による「エロイカ」ですが、あれもミュンシュらしくエネルギッシュで素晴らしい録音だと思います。いずれにせよ、僕にとって「エロイカ」は永遠にフルトヴェングラー盤だと思います。(笑)

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桜成 裕子

岡本 浩和 さま

 なるほど、岡本さまにとって「英雄」は永遠にフルトヴェングラー盤なんですね!こんなにいろいろな演奏を聴いておられる中でフルトヴェングラー、それも永遠に! そして多くの録音がある中でそのどれもがすべて他の演奏者の上を行くんですね!うーん、驚愕です。感受性は人それぞれ、と言われそうですが、私もいつかぜひその素晴らしさを体感したいと思います!
 (私事ですみせんが、姓が桜成にかわりました。)

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

ちなみに、フルトヴェングラーの演奏を享受するには、音質が悪い分、今となっては相当の忍耐力と想像力を要します。ただ、僕の場合は、一番洗脳されやすい(笑)思春期の頃にはまっていますから、それが永遠になってしまっているのだということを念のため付け加えさせていただきます。

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