
浪漫の行き詰まりを打ち破ろうと彼は立ち上がった。
ただし、当時の保守的状況に対し(リヒャルト・ワーグナーという飛び切りの革新はあったが)、内なる真実を守るために自ずと対立は避けられなかったのだが。20世紀にあって、現代音楽は為す術を失い、そこにポピュラー音楽が立ちはだかり、世の中を席巻するようになる。ポピュラー音楽の萌芽は既にドビュッシーの中にある。ベートーヴェンと同じく、ドビュッシーの前にも後にも彼の追随者はいない。音楽史の孤高の存在の一人である。
近代生活の憂鬱と絶望、異教的官能とキリスト教的神秘観、頽廃の美と叛逆の情熱を謳って、新しい美の戦慄を創造した「悪の華」。
ボードレール/堀口大學訳「悪の華」(新潮文庫)の表紙裏紹介文にはそうある。
何と言い得て妙。いわゆる象徴主義の始まりとされる「悪の華」からの5編にドビュッシーは音楽を付す。これがまた途轍もなく素晴らしい音楽なのだ。
「慇懃」
八 噴水
いとしい女よ、美しいそなたの瞳さえ、さすがに今はものうげだ!
なお暫くは開かずに、そっと閉ざしておくがよい。
極まる肉の快感に、見悶えたあの時の
寝みだれたあだな姿もそのままに。
日もすがらまた夜もすがら
庭にさざめく噴水は
心やさしくゆすぶって、今宵の恋の
法悦は回味長い。
~ボードレール/堀口大學訳「悪の華」(新潮文庫)P341-342
官能の極致をこれほどまでに聖なる印象で綴ることができるのは天才のみ。
ボードレールはもちろん、堀口大學の日本語の美しさ。
わずか6分ほどの音楽が、見も心も切り刻む。
ブーレーズの奏でる音楽は冷たいといわれるが、冷た過ぎて痛いほど。
(それは決して悪い意味ではない)
こんなにも直接的に魂に響く音楽があろうか。
20代のクロード・ドビュッシーによって蒔かれた種は、晩年になって一層の花を咲かせ、果実をつける。それこそが傑作、フランソワ・ヴィヨンの3つのバラードなのだ。
何しろ「噴水」から「恋人に与えるバラード」への流れにまったく違和感がない。
(創作に30年以上のときを経過しているのに)
ドビュッシーは初めからドビュッシーであり、最後までドビュッシーだったということだ。
1867年8月31日、シャルル・ボードレール死す。
