フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル フランク 交響曲ニ短調(1953.12.14&15録音)

フルトヴェングラーの考察はどの時代のものも示唆に富んでいて刺激的だ。
この時、フルトヴェングラー29歳。

芸術的な創造過程に注目してみよう。これは一つの戦いとして表現するのが最も適切である。この戦いを喚起する抵抗は素材(もっとも広い意味での)のうちに、つまり、たとえば形態、色彩、和声などのうちにある。その際、明らかに問題は、この素材に内在するもろもろの力を相互作用へと統合し、秩序づけるところにある。したがってこの素材とは、芸術家が制作の前にそれを自然状態のうちに見出すときのように、完全に無形で無秩序なものであらねばならぬ。構築的な芸術、特に音楽にあっては、このことが模倣的な芸術や文学におけるよりも明瞭に現われる。もちろん、ここでも究極的には事態に変わりはないのであるが。音楽家は自己の素材のエレメントを無限の可能性として手中に有している。彼の創造とは現にまさしく一つの戦いであり、音楽的素材のうちに、それに固有な和声的および律動的な法則とともに宿っている多様な運動と力とを、統一的な方向にもたらし、これを共通の全体的作用へと強いるための戦いである。
「一音楽家の時代的考察」(1915年)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー/芦津丈夫訳「音楽ノート」(白水社)P70

彼はあえて「芸術的な創造過程」と言及しているが、このことは何も芸術、音楽に限ったことではないだろう。相反するすべての力をいかに相互作用へと統合できるか、それは今日に生きる僕たち誰しものの課題だと思う。

フルトヴェングラーの方法は実に理に適っていたということだ。
だからこそ多くの人々に歓喜と興奮をもたらした。
蠢く音楽はまるで生き物のようだ。そう、音楽とは有機体なのである。

唐突だが、ヴァンサン・ダンディのセザール・フランク論を思った。

フランク先生の「交響曲ニ短調」は、至純な喜びと生命の光とへ絶えず昇っていく曲である。そしてこの曲は技術的に充実しており、その各主題は理想美をあらわす。その終楽章の中心主題は実にこの上なく喜ばしげであり、この上なく健全で活気に満ちたものである。そしてこの中心主題の周囲に、この作品のほかの各主題が全部群がって結晶をなして現れる。他方、高い音域ではすべてのものが「信仰の主題」なる動機によって支配されている。この動機を「信仰の主題」と名づけることはロパルツ氏によってなされたのであるが、この名はきわめて適切である。
ヴァンサン・ダンディ/佐藤浩訳「セザール・フランク」(アルファベータブックス)P161-162

まさにこの作品に内在する喜びと生命の光を音化したのがフルトヴェングラーでなかったか。普段ならよりデモーニッシュな解釈を繰り広げるフルトヴェングラーをして、デッカに録音したフランクの交響曲は、あらゆる運動と力が統合された見事な演奏だ。

・フランク:交響曲ニ短調FWV48(1887-88)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1953.12.14&15録音)

ウィーンは楽友協会大ホールでの録音は実に生々しい。
何より中心主題に他の主題がすべて群がり、一つに昇華される美しさ。クライマックスに向けての漸強、また漸弱で沈潜する自然の音調。物々しく始まる第1楽章レントから光明差すアレグロ・ノン・トロッポの理想。また、第2楽章アレグレットの懐かしくも美しい歌。終楽章アレグロ・ノン・トロッポの光に包まれた愉悦。

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