ゼルキン アバド指揮ロンドン響 モーツァルト ピアノ協奏曲第17番K.453ほか(1981.11録音)

ルドルフ・ゼルキンが亡くなって30年が経過する。その後もヴィルヘルム・ケンプ(5月23日)、クラウディオ・アラウ(6月9日)と、巨匠ピアニストが相次いで逝去した1991年は、実家近くでの大惨事となった信楽高原鐡道列車衝突事故もあった(5月14日)ことから記憶に残る年だ。

陰陽二気の世界においては、すべてが因果の中にあることを知った方が良い。蒔かない種は当然実をつけることはなく、蒔いた種だけが花開き、実を成すのだということを。

ルドルフ・ゼルキンは晩年、ドイツ・グラモフォンにモーツァルトの協奏曲の幾つかを録音した。いずれもが枯淡の境地を地で行く名演奏だが、中でも第9番変ホ長調と第17番ト長調を収めた1枚が素晴らしい(いずれもカデンツァはモーツァルトの自作)。ここではモーツァルトの軽快さや愉悦は鳴りを潜める。第9番変ホ長調は、第1楽章アレグロ冒頭から実に堂々とし、(モーツァルトの)喜びよりは哀しみが前面に押し出された名演奏である。特に、第2楽章アンダンティーノの憂鬱な風趣ながら、極めて清澄なピアノの語り口が、何だかとても女性っぽくて僕は好きだった。

モーツァルト:
・ピアノ協奏曲第9番変ホ長調K.271「ジュノーム」
・ピアノ協奏曲第17番ト長調K.453
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団(1981.11録音)

全盛期の筆になる協奏曲第17番ト長調の奇蹟の移ろい(モーツァルトは1784年から86年にかけて12ものピアノ協奏曲を書き上げた)。

・・・いかなる心の迷いも、いかなる判断の誤りもなく、たえず形式を更新しながら、かくも短期間に、かくも多彩な美しい花束を作り出すということは、奇蹟以外のなにものでもない! だが、最大の奇蹟とは、まさにモーツァルトにとって、奇蹟というものが存在しなかったという事実である。
(オリヴィエ・メシアン「モーツァルトの22のピアノ協奏曲」)

メシアンの言葉通り、音楽は極めて美しく自然体だ。当時、モーツァルトの美意識とはどんなものだったのか。

今の人は何ごとについても、中庸のもの、真実なものは、けっして知りもしなければ尊重もしません。喝采を受けるためには、辻馬車の御者でも真似して歌えるような分かり易いものか、さもなければ、分別のある人間にはだれにも理解されないから、かえってみんなに喜ばれるような、そんな分かりにくいものを、書かなければなりません。
(1782年12月28日付、ザルツブルクの父レオポルト宛)
柴田治三郎編訳「モーツァルトの手紙(下)」(岩波文庫)P85

第2楽章アンダンテでは、ゼルキンの弾くピアノが、思い入れたっぷりに僕たちに囁きかける。こんな音楽をモーツァルトは自然に生み出したのだ。ゼルキンは自由に、しかし、深沈とした表情で音楽を歌い切る。そして、愉悦の終楽章アレグレットを迎える頃には彼のピアノの虜になっていることに気づくだろう。抑制気味のプレストの終結が思念に満ち、また美しい。

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