テミルカーノフ指揮読売日本交響楽団第592回定期演奏会

痺れる音圧。
轟音も弱音も、天才的な音を持つショスタコーヴィチの天才。
あえて彼は「バビ・ヤール」という碑を引用し、いかにも国家を、あるいはイデオロギーを揶揄しようとしたが、よくよく追究してみると、世界の平和を祈るために音楽を創造していただけなのだとも理解できる。おそらく体制が大きな圧力をかけるほどの他意はなかったはずだ。

言葉というものの難しさを思う。
言葉というものが壁を作り、ぶつかりを生み、争いや諍いの原因を作るのだと思った。
ユーリ・テミルカーノフの指揮は、俄然力が入っていた。隅から隅まで思念が通り、人間感情を超え、最後は宇宙と一つとなるチェレスタと鐘の音が永遠に終わることのないかのように響いたことに、僕は心底感動した。
作品の楽章構成がそもそもものをいう。その上、いかにもの標題だ。
ベートーヴェンが「田園」交響曲において人間と大自然との一体と感謝を謳ったように、ショスタコーヴィチは「バビ・ヤール」において世界の真の統一を祈った。反ユダヤ主義、あるいは実在する人物への攻撃など、政治的発言に近い言葉が跋扈し、当局から音楽の改訂を求められたが、作曲家は歌詞の該当箇所のみを訂正するにとどまった。音楽こそが人々の心を直接につかむことをショスタコーヴィチはもちろん知っていた。テミルカーノフの生み出す音楽はただただ純粋に魂にまで迫った。「バビ・ヤール」は「田園」のフラクタルだと言えまいか。

終楽章「立身出世」での興奮。何より「私にとって立身出世は立身出世しないことだ」というフレーズの意味深さ。ここでショスタコーヴィチは「足るを知れ」と嘆くのだ。
読売日本交響楽団の演奏が素晴らしかった。やはりコンサートマスターである日下紗矢子が鍵を握っていた。思い入れたっぷりのコーダの独奏は圧巻。そして、新国立劇場合唱団男声合唱の激震!さらにはピョートル・ミグノフのバス独唱の暗澹たる表情が恐怖と不安を終始煽ってくれた。立派だ。

読売日本交響楽団第592回定期演奏会
2019年10月9日(水)19時開演
サントリーホール
ピョートル・ミグノフ(バス)
新国立劇場合唱団(男声合唱)
冨平恭平(合唱指揮)
日下紗矢子(特別客演コンサートマスター)
ユーリ・テミルカーノフ指揮読売日本交響楽団
・ハイドン:交響曲第94番ト長調Hob.I:94「驚愕」
休憩
・ショスタコーヴィチ:交響曲第13番変ロ短調作品113「バビ・ヤール」

国家による恐怖の管理下にあったショスタコーヴィチの音楽には抑圧からの解放が常につきまとう。

一方、前半のハイドンは「驚愕」交響曲。
1790年にニコラウス・エステルハージ侯爵が亡くなり、宮廷楽長の職を解かれたことにより自由な音楽活動が可能になったハイドンの、より革新的かつ創造性豊かな音楽は、実に均整のとれたフォルムを構えるものの、内容はとても奔放だ。
テミルカーノフの指揮の動きは最小限。その分、鍵となったのはやっぱりコンサートマスターである日下紗矢子。音楽が隅から隅まで柔らかく女性的だったのはそのせいだろうか。第1楽章序奏アダージョの可憐な木管群の音に対して、続く弦楽器群の嫋やかさ。第2楽章アンダンテの、例のティンパニの強打の素晴らしさ。第3楽章メヌエット、そして終楽章アレグロ・ディ・モルトへと至る流れの大らかさ。まさにどの「時」もテミルカーノフの巨匠然とした無限のパワーが漲っていたように僕には感じられた。

束縛からの自由、抑圧からの解放。
音楽には言葉にない絶対的な、光と調和をもたらすパワーがある。
痺れた。

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