シュトラウス自身、「私の仕事はこんなに楽だ。途中で休んでも、またいつでもその個所から始めることができる」と語っている。他の作曲家が苦労している話を聞くと、「そんなにいやなら、なぜ作曲するのだ」とも言ったそうである。朝、目を覚まし、食事を済ませると、9時には机の前に座って作曲を始め、ほとんど休みなしに12時または1時頃までそれをつづけ、昼食。午後はスカート(トランプの遊び方の一種)をやり、夜は劇場へ行って公演の指揮をとるといった毎日で、職業音楽家としての彼の生活は実に規則的なものだった。
~日本リヒャルト・シュトラウス協会編「リヒャルト・シュトラウスの『実像』」(音楽之友社)P19
律儀な彼の性格と、一方で、天才的な才能、音楽のミューズと交信できる特別な術を得ていただろうことに驚嘆する。彼は音楽創造の秘密として次のように述べている。
旋律上の着想はなんの前触れもなく、あたかもエーテルの中から直接やってくるかのように私を襲う。—外からなんらの感覚的刺激も精神的な感情の動きもなく、意識や惰性の働きもなく、直接空想の中に現れる。それは神の最高の贈り物で、それは何物にも代えられないものである。
~同上書P19-20
着想は、確実に本性が天と直結しているだろうときに自然と湧き上がるものだということだ。それこそ奇蹟であろう。
1945年5月、リヒャルト・シュトラウスの残したメモ。
3月12日、栄光のウィーン・オペラ座も、爆撃の犠牲になった。しかし5月1日からは、人類史上最悪の恐怖の時代が去り、凶悪極まる犯罪人たちによる12年間の獣性と無知と反文化の支配が終わった。この間、2千年かけて進化してきたドイツ文化が滅び、かけがえのない記念建造物や芸術作品が、軍隊の犯罪によって破壊されてしまった。科学技術が心底呪わしい。
~山田由美子著「第三帝国のR.シュトラウス―音楽家の〈喜劇的〉闘争」(世界思想社)P216
何という哀しみ、そしてまた人類の愚かさに対する怒り。
爆撃の翌日、3月13日からちょうど1ヶ月間にわたって彼は追悼の作曲を始める。「メタモルフォーゼン」である。
リヒャルト・シュトラウス:
・23の独奏弦楽器のための習作「メタモルフォーゼン」
・アルプス交響曲作品64
ルドルフ・ケンペ指揮シュターツカペレ・ドレスデン(1970-73録音)
ドレスデンはルカ教会での録音。
ルドルフ・ケンペの指揮は、個性を横に置き、あくまでシュトラウスの音楽そのものを体現しようとするものだ。美しい旋律、情感の込められた静謐なメタモルフォーゼンの内にある、作曲者の心情、悲哀と怒りの思いが見事に表現されている。何より録音含めすべてが美しい25分超!
そしてまたシュトラウスの心象風景たる「アルプス交響曲」も文字通り自然体の流れと深い呼吸によって統率された名演奏。山頂に向けクライマックスを築き、その後眼前に現れるヴィジョンの顕現こそケンペの真骨頂だろう。
当初シュトラウスは、この曲に「反キリスト」と銘打ち、宗教的カリスマに頼らず大自然を畏敬し、独力で仕事を遂行しながら浄化と解放に至る人間を描いたものであると語った。
~同上書P88
なるほど1915年当時、シュトラウスに降りたインスピレーションは確かだったのだろうとこの件を見て思う。しかし、問題は「独力で」仕事を遂行しようとしたことだ。何につけあくまで天人合一だということを忘れてはなるまい。