挑戦者ベートーヴェン

beethoven_mass_gardiner.jpg今月の「早わかりクラシック音楽講座」では、初めての試みで「聴き比べ」を中心に会を進行する予定である。まもなく丸4年が経過することもあり、マンネリ化を防ぐためにも新しい切り口で講座を開催しないといけないというプレッシャーから、何ヶ月か前に告知をしたら久しぶりにあっという間に満席になった。実際にはお断りした方もいるほどなのだが、先日の「恋物語」で愛知とし子が素晴らしい演奏を聴かせてくれたお陰も十分にあるので、彼女には感謝せねばなるまい。昨年の夏までは講座の最初にミニコンサートのパートを設けていたのだが、何となくそのスタイルをやめてから参加者が少なくなったように振り返ってみて思う。それだけ愛知とし子のピアノにはエネルギーがあり、人を惹きつけるオーラがあるのだろう、これを機にまた「ミニコンサート」のコーナーを設け、皆様にクラシック音楽の醍醐味をこれまで以上に楽しんでいただこうと気持ちを新たにした。

いつまでも革新的でチャレンジ精神旺盛でいたいものだ。政治の世界でも、一般企業の場合でもいざ権力の座につくと吃驚するほど保守的になる。上に物を申せる、気概の精神を忘れて欲しくない。

昨日の話題の続き。イノベーター・ベートーヴェンは常に「挑戦」した。過去誰もやったことがないことを最初に試みる。だから没後200年近くを経た今も「第一線」にあるし、その作品には何より縦横無尽の「解釈」が可能なところがその他大勢の作曲家と一線を画するところ。

それにしても「クラシック講座」の内容をどうするか悩むところ(汗)。3時間という限られた時間の中で、交響曲の「聴き比べ」をしようというのだから我ながら無謀な「挑戦」である。9曲の中から必然的にいくつかを選ばざるを得ないが、楽章を抜粋で採り上げるというのもあまり好きでないし、かといって1曲全部を採り上げたらそれこそ時間が足りない。はてさて、どうしたものか・・・。

少し気分転換に、ベートーヴェンの作品の中では決してメジャーとはいえないものだが、実に素晴らしい音楽を聴くことにする。

ベートーヴェン:
・シェーナとアリア「ああ、不実なる人よ」作品65
・カンタータ「静かな海と楽しい航海」作品112
・ミサ曲ハ長調作品86
シャルロッテ・マルジオーノ(ソプラノ)
キャサリン・ロビン(メゾソプラノ)
ウィリアム・ケンドール(テノール)
アラステア・マイルス(バス)
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮モンテヴェルディ合唱団&オルケストル・レヴォリュショネール・エ・ロマンティーク

晩年の傑作「ミサ・ソレムニス」の陰に隠れてひっそりと佇む美しい音楽。巨大で厳しい面構えの「荘厳ミサ曲」よりもどちらかというと僕はハ長調ミサを好む。「傑作の森」のど真ん中、第4交響曲と第5交響曲の合間に生み出された、実に清澄で優美な音楽。どうやら初演当時はあまりの革新性ゆえなかなか一般聴衆から理解を得られなかったらしいが。

ちなみに、ガーディナーの「挑戦」はここでも斬新な響きをもたらす。間もなくベートーヴェンの240回目の誕生日。「チャレンジ精神」、忘れたくないものだ・・・。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
>それだけ愛知とし子のピアノにはエネルギーがあり、人を惹きつけるオーラがあるのだろう
それは言うまでもなく当然なんですが、やはり生演奏とCDの魅力の差は大きいですよ。コピーされた録音は世に溢れていて、「真に有難みを感じるのは断然一期一会の生演奏」、坂本龍一もどこかで語ったように、人々の価値観がそういう音楽の原点に回帰しているってことじゃないでしょうか。
>晩年の傑作「ミサ・ソレムニス」の陰に隠れてひっそりと佇む美しい音楽。巨大で厳しい面構えの「荘厳ミサ曲」よりもどちらかというと僕はハ長調ミサを好む。
たしかに、「ミサ・ソレムニス」よりも「ハ長調ミサ」は聴きやすく私もCDを取り出しやすいです。
しかし、次のような文章を読むと、やはり宗教曲や合唱曲の多くは、自分で演奏に参加してみて初めて真価を深く理解できるのだろうという思いが強まるばかりです。
・・・・・音楽大学の声楽科に学んでいちばん愉しかったのは、東京のオーケストラ(特にN響)が合唱付きの大曲を演奏するとき、コーラスの一員として参加できたことであろう。
 音大生とはいえ、バッハの「ロ短調ミサ曲」、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」、ヴェルディの「レクイエム」のような作品になると簡単には歌えない。200名ぐらいの学生が講堂に集まって練習をするのだが、リハーサルの回数はとても多いので、いかなる難曲といえども完全に身についてしまう。
 クラシック・ファンが口をそろえるのは、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」は何度聴いてもよくわからない、ということだ。とくに「グローリア」から「クレド」にかけての最も重要なところがむずかしい。複雑な合唱声部が聴き取りにくいからである。
 その点、この曲の合唱パートを歌った人は強い。自分のパートのみならず、他のパートもおぼえてしまうからだ。そうなってみると「ミサ・ソレムニス」は、あの「第九」を上回る大傑作だということがわかる。だからうたうときもそうだが、コンサートやCDを聴くときの感動もまたすばらしいものになる。
 金沢には毎年「第九」と「ミサ・ソレムニス」を演奏しつづけているアマチュア団体があり、古いメンバーは「ミサ」さえ暗譜で歌っているという。オーケストラは地元の団体だが、指揮者は中央から一流の人を招いている。こういう団体は珍しいとはいえ、宗教音楽専門にうたっている合唱団は他にも多い。ぜひ参加して味わってみることを強くおすすめしたい。・・・・・・宇野功芳(著)「改訂新版 宇野功芳のクラシック名曲名盤総集版」(講談社)171ページより
http://www.amazon.co.jp/%E6%94%B9%E8%A8%82%E6%96%B0%E7%89%88-%E5%AE%87%E9%87%8E%E5%8A%9F%E8%8A%B3%E3%81%AE%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E5%90%8D%E6%9B%B2%E5%90%8D%E7%9B%A4%E7%B7%8F%E9%9B%86%E7%89%88-%E5%AE%87%E9%87%8E-%E5%8A%9F%E8%8A%B3/dp/4062741784/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1292277101&sr=1-1
「室内楽とは本来、弾く方が楽しむための音楽なんで、聴く方はその溢(こぼ)れをいただくって感じなんですね」とウィーンで育ったヴァイオリン奏者ヒロ・クロサキは語ったといいますが
(新版 クラシックCDの名盤
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2761909
169ページ 中野雄氏の文より)、
宗教曲や合唱曲の多くも同じなんだと思います。
チャレンジに勝るものなし!!

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>坂本龍一もどこかで語ったように、人々の価値観がそういう音楽の原点に回帰しているってことじゃないでしょうか。
確かにそういうことなんでしょうね。
>宗教曲や合唱曲の多くは、自分で演奏に参加してみて初めて真価を深く理解できるのだろうという思いが強まるばかりです。
ご紹介の文章もそうですが、「マタイ」についても自身の体験から同様のことを書かれていますよね。やっぱりチャレンジですか!!(昨晩先日のハンドベルの演奏を見て、「あなたはつくづく演奏には向いてない」と妻から釘を刺されましたが・・・笑)。

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