朝比奈隆指揮大阪フィル チャイコフスキー 交響曲第5番(1982.7.10Live)を聴いて思ふ

80年代前半の朝比奈隆は、体調不良やら何やらで、演奏も今ひとつ集中力に欠けるものが多かったといわれるが、1982年7月10日の尼崎アルカイックホールでのチャイコフスキーの交響曲第5番は、自家薬籠中の、白熱の名演奏の一つだと僕は思う。
特に、終楽章アンダンテ・マエストーソの思い入れたっぷりの、灼熱の音調に、聴いていて胸が熱くなるほど。

朝比奈隆にとって交響曲第5番は特別な音楽だった。
1940年1月31日、プロ指揮者デビュー時の作品であり、また、奇しくも、2001年10月24日、名古屋での生涯最後の演奏会の曲目もこの作品だった。

メッテル先生がチャイコフスキーばかりやってましたので、チャイコフスキーの5番のシンフォニーをやって、頭に「レオノーレ」序曲の3番、あとはショパンの「ピアノコンチェルト」の1番です。それは大阪出身の女のピアニストがやりました。ところが、意外と難しいのがベートーヴェンの序曲なんですよ。特に3番は大物でしてね。シンフォニーの第1楽章みたいです。そのころはちょうどローゼンストックの時代で、ローゼンストックが聴きに来てくれましたので、しばらくしてからNHKの洋楽の人と一緒にローゼンストックの家に行ったんですけども、全体として悪くなかった、一番よかったのは「レオノーレ」の序曲だったと言われたんです。彼流の聴き方なんですが、あれだったらまず何も言うことはないと自分は思う。—それからチャイコフスキーの方も第1楽章が特によかった。そうすると、同じものなんです。
朝比奈隆/聞き手・矢野暢「朝比奈隆 わが回想」(中公新書)P99

第1楽章序奏アンダンテからじっくりと思い入れたっぷりに歩を進める朝比奈の棒は、おそらくそのときも、そして、このときも自然の流れの中にあり、とても余裕のあるものだ。

また、最後の演奏会での交響曲第5番について、当時のコンサートマスターであった梅沢和人さんは次のように書かれている。

最後の演奏会、名古屋でのチャイコフスキー交響曲第5番については、私には多くを書く事ができない。
曲が終わって指揮台からおりようとする先生(精神力が腰を支え続け、脊椎に刻まれたスコアーの記憶が最後まで腕を動かし続けたようだった)を抱きかかえながら思わず「先生、もういいんです。もう終わったんです!!」と言ってしまった自分、泣きながら演奏した楽員の気持ちを、察してほしい。

~「音楽現代」2002年3月号P83

ちなみに、最後のチャイコフスキーの音源は、翌年に出された追悼文集の付録になっているが、オーケストラが渾身の力で指揮者をフォローし、最後の大団円に至るまで集中力を以て演奏を繰り広げているのだということがよくわかるものだ。その音楽は、痛々しいどころか、どうにも神々しい。

1982年7月10日のチャイコフスキー、交響曲第5番ホ短調作品64。

・チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調作品64
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団(1982.7.10Live)

第1楽章アンダンテ―アレグロ・コン・アニマ、物語のはじまりはどちらかというとそっけない。しかし、第2楽章アンダンテ・カンタービレ,コン・アルクーナ・リセンツァの憂愁、そして第3楽章ワルツ、アレグロ・モデラートの堅物ながらの愉悦と、楽章が進むにつれ、音楽に内在する熱狂が露わになって行くのである。
少なくともこの日の朝比奈隆の精神的な充実ぶりは並みでなかっただろう。
もともと聴き手の心を揺さぶる力のあるチャイコフスキーの交響曲が、朝比奈の無骨な演奏によって「外装」がはぎ取られ、さらに赤裸々な姿を見せつける様。感激だ。ただし、やっぱり実演に触れなければ、朝比奈の音楽の100%を享受するのは難しいように思う。

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