朝比奈隆指揮新日本フィル シューマン 交響曲第3番「ライン」ほか(1995.10.20Live)

自然を愛さない者や草原や小川への愛がない者に「田園」は指揮できないでしょう。また、情熱を持たず恍惚を感じられない者に「トリスタンとイゾルデ」は指揮できません。そして、心の中にロマンティックな襞を持たない人間にはシューマンの「ライン」は無理だと思います。つまり、指揮者の性格や精神的な資質というものが経歴や業績の質にとても重要なのです。
ブルーノ・ワルター インタヴュー

性格はともかく精神的な資質というのは、直観力、すなわちセンスに等しい。
音楽が感動的なものになるか、それとも木偶の棒かは指揮者のセンスによるだろう。ブルーノ・ワルターの言葉通り、浪漫センス溢れる指揮者のシューマンはとりわけ美しい。例えば、朝比奈隆。

僕はたった一度だけ朝比奈御大の指揮するシューマンに触れることができた。それはそれは、巨大な浪漫の塊だった。

例えばベートーヴェンにしても、偉い作曲家は、人生でいろんな経験をしておられますね。音楽は人間体験のひとつですから、ただピアノが弾けるとか、楽典を知っているからというだけでは理解できません。専門技術と知識だけではだめなのです。ベートーヴェンの交響曲のスコアなんて、見るのは簡単です。マーラーのスコアよりも読むのはずっと簡単で、すぐわかります。でもわかったからといって、音楽の知識だけではその先はどうにもならないのです。
(朝比奈隆vs宇野功芳 朝比奈隆 人間と社会を語る)
ONTOMO MOOK「朝比奈隆 栄光の軌跡」(音楽之友社)P2-3

文字通り波乱万丈の人生を送ったワルター自身から発せられた言葉であることから考えると、「心の中のロマンティックな襞」が、悲喜交々の人間体験から生まれるものであることは間違いない。

朝比奈隆の「ライン」。

・モーツァルト:交響曲第39番変ホ長調K.543
・シューマン:交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」
朝比奈隆指揮新日本フィルハーモニー交響楽団(1995.10.20Live)

渋谷はオーチャードホールでの第233回定期演奏会ライヴ録音。僕は前日、19日の東京文化会館での演奏会を聴いた。解釈の基本は(たぶん)ほとんど変わらないと思う。
どっしりとしたテンポと息遣いで、ロベルト・シューマンの心の内を堂々と語る朝比奈節。御大が最も充実していた時期の演奏は、とにかく若々しく、自信に満ちた響きを示す。第1楽章から音楽はうねる。例えば、第4楽章の夢幻の憧憬と終楽章の希望の歌は、このとき87歳とは思えぬ朝比奈の青春の調べのよう。

一方、モーツァルトのK.543は、御大の強い希望で弦楽器のプルト数を減らさず、16型で演奏したものだそうで、第1楽章序奏アダージョから言葉にならぬほど壮大な音楽が響き渡る絶品。主部アレグロに移る瞬間の脱力加減がまた素晴らしい。続く、哀感醸す第2楽章アンダンテ・コン・モートの浪漫(古典派の音楽にはあまり感じられない雄渾さ)。そして、堂々たる第3楽章メヌエットをはさみ、終楽章アレグロの慌てず騒がず、朗々と音楽を鳴らす余裕。

ちなみに、朝比奈隆は、この演奏について後年次のように語っている。

一緒にやっている者が曲によって出たり入ったりすると、ろくな結果にならないからです。だから、なるべく全員で。いつか、新日本フィルでモーツァルトの第39番をやったときも全員でやりました。多すぎて《エロイカ》みたいになっちゃいましたけど、整然たる立派な演奏で、どなたかに批評で褒めていただきました。
~同上書P71

確かに「エロイカ」並みの名演奏。もはやこういうモーツァルトを創り出す指揮者はいないように思う。

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