ヘンリク・シェリング・リサイタル(1969.5録音)

東京に出て来て早37年になる。
すっかり言葉は標準語だ。
ただ、我ながら面白いのは、実家に帰省すると自ずと関西弁に切り替わるところ。言葉、というより人間の脳の機能の絶妙なところだ。

バルセロナの友人たちの話を聞いていると、日常の生活のなかでカタラン語とスペイン語を臨機応変に使い分けているのがわかる。使い分けているというより、「自動的に切り替わる」と彼らは口をそろえる。両親がともにカタルーニャ人の場合は、家族のなかで話される言葉もカタラン語だが、両親がカタルーニャ以外のスペインの地方から移り住んできた家族の場合、家のなかで、家族の間ではスペイン語で話し、友人や兄弟の間ではカタラン語で話すなど器用に二つの言葉のスイッチが切り替えられていく。その家族によって、スペイン語とカタラン語で話す「その家なりのTPO」があるように思えてくる。どちらにしても、このカタルーニャの地で、よりよい仕事を得るためには、カタラン語の習得がほぼ原則だという現実がある。
中山瞭(文・写真)「スペイン 7つの小さな旅」(東京書籍)P181-182

単一民族の島国に住む日本人にはおおよそ見当もつかないが、広大な大陸では文化の違いはもちろんのこと、言葉の多様性にも目を瞠るものがある。言葉が意志の伝達手段であると同時に、相手を煙に巻くための一つの防衛策であったことが窺われる。
郷に入りては郷に従え、と。

ヘンリク・シェリング・リサイタル
・マヌエル・デ・ファリャ:スペイン舞曲第1番「はかなき人生」(フリッツ・クライスラー編曲)
・フェデリコ・モンポウ:歌と踊り 第1番
・エルンスト・アルフテル:ジプシー娘の踊り(フリッツ・クライスラー編曲)
・パブロ・デ・サラサーテ:アンダルシア風ロマンス作品22-1
・パブロ・デ・サラサーテ:サパテアード作品23-2
・モザルト・カマルゴ・グァルニエリ:遥かなる歌
・フランシスコ・ミニョーネ:セルタンの夜曲
・アルダ・カミーニャ:前奏曲作品16
・フランシーノ・ロドリゲス・ヴァーレ:かがり火のほとりで(前奏曲第15番)(ヤッシャ・ハイフェッツ編曲)
・カルロス・アントニオ・グァスタヴィーノ:平原
・ホセ・サブレ・マロキン:祖国から
・ホセ・ロロン:メキシコ舞曲(ヘンリク・シェリング編曲)
・フリアン・カリーリョ:無伴奏の前奏曲
・マヌエル・マリア・ポンセ:短いソナタ
ヘンリク・シェリング(ヴァイオリン)
クロード・マイヨワ(ピアノ)(1969.5録音)

独墺系の作曲家の音楽を奏するとき、シェリングの音は都会的センス溢れる、集中力に富んだものだ。一方、辺境、とはいえスペインから中南米に及ぶ作曲家の作品を奏するときのシェリングの音は自由奔放で、同時に情熱的だ。おそらくそれは、伴奏のマイヨワのピアノの力量によるところも大きかろう。

音楽が弾け、踊る。
何という「遊び」のセンス!!

明日は雪だという。
今夜は凍るような寒さだ。
ラテンの歌で温まろう。

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