独特の言い回しというのか、あるいは、訛りとでもいうのか、表現に困るのだけれど、ルドルフ・ケンペの生み出す音楽は、装いは標準仕様ながら、内面から湧き立つ田舎臭(?)が絶品で、聴いていて飽きない。鷹揚なアプローチで、クライマックスでは渾身の力でもって音楽がかき鳴らされる様は、実に貴い。
堂々たる祝祭は、ヘンデルの「王宮の花火の音楽」。
欧州諸国の、戦乱に明け暮れた時代の一旦の和平を祝う音楽は、王室の意向とは別に、ヘンデル自身の反戦にまつわる思想を組み込んでいるのだという。
1749年4月27日、アーヘンの和約を祝う王室主催の花火大会がグリーンパークで催され、ヘンデルは《王宮の花火の音楽》の作曲を依頼されていた。平和にふさわしい弦楽を交えるというヘンデルの意図に反して、ジョージ二世は、勇壮さを出すための軍楽形式(管楽だけ)でという意向を押し通した。楽器編成で妥協したヘンデルは、平和を象徴する華やかな舞曲に軍楽を対位させ、野蛮な軍楽が華麗な舞曲を掻き消すというパターンを延々と繰り返すことにより、王宮の「戦犯」を糾弾している。
~山田由美子著「原初バブルと《メサイア》伝説―ヘンデルと幻の黄金時代」(世界思想社)P277
自らの威信を鼓舞する国王へのせめてもの反抗。しかし、ケンペの指揮する音楽は喜びに溢れる。
そして、今となっては少々時代がかった古さを感じさせるモットル編曲のグルックは、終始重厚なテンポで進められ、第2曲「祝福された精霊の踊り」などは甘美な、そして粘る強弱が付され、実に浪漫的な雰囲気を醸す逸品。第3曲「ミュゼット」も洋々たる響きでとても美しい。とにかく明快だ。
さらに、素晴らしいのは、コダーイの「ハーリ・ヤーノシュ」組曲。楽しい「ウィーンの音楽時計」、虚ろな「歌」、そして、ツィンバロンが活躍する有名な「間奏曲」の勢いある、肯定的な音調と完璧な間のとり方、深い呼吸に感動する。
いつの時代の音楽であってもケンペの解釈の根底は一貫する。要は、音楽は文字通り楽しむものだということだ。