バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル マーラー 交響曲第1番ニ長調(1966.10録音)

レナード・バーンスタインは、しばしば、指揮台上で死にたい、と語っていたが、そうはならなかった。10月9日、彼は公の演奏会からの引退を発表した。そして傷心の彼はこうつぶやいた。「僕は神を失った。死ぬのは怖いよ。人生を愛することを止めたなら、死の重みが愛にとって替わったなら、ああ無駄だ、すべては何の役にも立たない。愛は涙を引き出すのに、僕は泣くこともできない」
10月13日、バーンスタインの希望で、一人の友人が彼のもとを訪ね、その友人は大きな声で、コールマン・バークスの翻訳による13世紀ペルシャの神秘主義詩人ジャラール・ウッディーン・ルーミーの詩のいくつもを朗読した。特にルーミーの死の床での詩の何行かを。

昨夜、私は夢で庭にいる老人に会った。
それはすべて愛だった。
彼は手を差し出し、言った。「私のもとに来なさい」

レナード・バーンスタインは次の日の夕方6時15分に死去した。
ジョナサン・コット著/山田治生訳「レナード・バーンスタイン ザ・ラスト・ロング・インタビュー」(アルファベータ)P191-192

僕はバーンスタインの最後の年の来日公演を聴き逃した。
せっかく手もとにいくつかの公演のチケットがあったというのに、最初の2つの公演のものを友人に譲ってしまったからだ。34年も前の話。

僕が最初にバーンスタインのレコードに触れたのはマーラーだった。
ブルーノ・ワルターのマーラーにかぶれていた僕は、比較のため当時もう一つの雄たるバーンスタイン盤を手に入れ、聴いた。聴いた印象がまったく違っていたことに16歳の僕は驚いた。
例えば、第3楽章Feierlich und gemessen, ohne zu schleppen。
これはもう明らかに違う。
端正、かつ慈愛に満ちるワルター最晩年の演奏に対し、バーンスタインのそれは動きのある、そしてためのある、何とも熱狂を伴なった演奏だった。僕の好みはワルターだったけれど、いつかバーンスタインのマーラーをこの耳で、この身体で実際に体感してみたいとずっと思っていた。最後の来日公演のプログラムにもはやマーラーの大作はなかったけれど、その前の、1985年の、今では語り草となっているマーラーの第9番を僕は聴くことができなかった(また次があるだろうと侮ってしまっていたのだ)。その素晴らしさを、実演を聴きに足を運んだ友人の話を聴いて僕はとても羨ましく思った。その後、バーンスタインのマーラーを繰り返し録音で聴き、やっぱり後悔した。

・マーラー:交響曲第1番ニ長調(1884-88)
レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック(1966.10.4&22録音)

第1楽章冒頭から音楽の美しさに僕は恍惚となった。
青春の色香が音の隅々にまで行き渡る。

証明はできないけど、すべての人が学ぶことへの愛をもって生れてきたことを、僕は、心奥深く知っているよ。例外なくね。すべての赤ん坊は自分の足先や手の指を見つめて調べるけど、子供が自分の声を初めて認識することは、人生のなかでも最も特別な瞬間の一つに違いない。すべての言語の始まりには、原初の音節があったはずだと僕は言ってきた。「マ」(あるいはそのいくつかの変形)mater, madere, mère, mutter, mat, Ima, shi-ma, mamaなどなど)のようなもの。「マ」は、ほとんどすべての言語で、「母」を表すだろう。ゆりかごのなかにいる赤ん坊が、のどを鳴らしたり、MMMとつぶやきながら、自分の声を認識するところを想像してごらん。
~同上書P61

バーンスタインの言葉には重みがある。
この言葉の背景にある思念から、話題はすかさずマーラーにつながる。

そう、マーラーは4回、ジークムント・フロイトと会う約束をし、3回それを破った。彼はどうして自分がインポテンツであるかが分かることが怖かったから。彼の妻アルマは、自分に近寄ってくる男たち、グロピウス、ココシュカ、ヴェルフェル、ブルーノ・ワルターなどなどの誰とでも寝ちゃうような女性だったんだけど、彼女が彼をフロイトに会わせたんだ。彼は彼女より20歳年上だったし、彼女はウィーンで最も魅力的な女性だった。金持ちで、教養があって、誘惑的で・・・。

あなたは、一度、彼女と会いませんでしたか?

確かに。彼女は僕をベッドに連れて行こうとしたんだ。すごく昔、彼女はニューヨークのホテル・ピエールに滞在していた。彼女は僕のニューヨーク・フィルハーモニックでのリハーサルを聴きに来ていた。彼女は僕を“お茶”に招いてくれた。“お茶”はいつのまにか“アクアビット”に替わっていたんだけど。そして、彼女は、寝室にある作曲家の夫の遺品を見に行こうと提案した。

そのとき彼女はあなたよりかなり年をとっていたに違いありません。

〈笑いながら〉彼女は何十歳も僕より年上だったよ。彼女は髪の毛をしっかりとカールし、狂っているようにいちゃついてきた(僕は半時間ほどリビング・ルームで過ごし、寝室にいたのはほんの1,2分だった)。彼女はまさに見事なウィーン風オペレッタのようだった。
~同上書P64-65

アルマの絶倫ぶり(?)に舌を巻く。
その傍でグスタフ・マーラーは何を思い、何を感じていたのだろう?
交響曲第1番作曲の頃は実に健全だったといえまいか。

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