フィッシャー=ディースカウ リヒテル ブラームス 「美しきマゲローネ」作品33(1970.7録音)

リヒテルの心が躍っている。
大いなる愛の恩恵を共に被らんと、フィッシャー=ディースカウが歌う。
時にピアノ伴奏は主となり、歌を牽引する。同時に理知的な声は、時に歓喜の花が咲く。
第15曲「まことの愛はとこしえに」は、シューベルトの歌曲を髣髴とさせる、ブラームス渾身の愛の成就の歌。

ブラームスと一緒にいればいるほど、親しみと尊敬が増してくる。真面目さと、人あたりのよさが同居しているところが彼の持ち味だ。ブラームスがふざけたことを重々しく話すと、シューマン夫人は真剣に受け取る。それからトンチンカンな議論になって、最後はかんかんに怒らせてしまう。そこで僕が仲裁役として割って入るというわけさ。だってブラームスは、話をややこしくすればするほど、ご婦人に大受けすると思いこんでいるので、手に負えない。
僕にはオチャメでユーモラスに見えるけれども、ブラームスが誤解されるのはここだ。

(アルベルト・ディートリヒの妻宛書簡)
天崎浩二編・訳/関根裕子共訳「ブラームス回想録集①ブラームスの思い出」(音楽之友社)P49-50

一見気難しそうに見えるヨハネスは、実際は親しみやすい人だったようだ。
そういう彼の本性は、作品に見事に刷り込まれている。ルートヴィヒ・ティークの詩による「美しきマゲローネ」の温かさを聴けばそのことは瞭然。何より選ばれた15編の詩が美しい。

・ブラームス:ティークの「美しきマゲローネ」による15のロマンス作品33
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)(1970.7.24-25録音)

マゲローネの孤独な内心が歌われる第11曲「光も輝きも消え失せて」を耳にして、リヒテルはまるで幻聴の如く、彼の声にあらゆる弦楽器の音を聴いたという。確かにこの曲は、静かでまた哀惜満ちる美しい音楽だ。

もちろん、みんなが待っていたのは「福音史家」だ。いや私がそう呼んでいるだけだが、フィッシャー=ディースカウのことだよ。そして再びブラームス、再び彼の登場だ。最初のときと同様にね。彼が、「光も輝きも消え失せて」と歌うと―これは《マゲローネによるロマンス》の1曲だが―、チェロの音が聞こえてきた。いやあらゆる弦楽器が―そしてオーケストラ全体とオルガンが聞こえてきた。私の手はひとりでに演奏を始め、私はそれを黙って見ていたのだ。私はさっさと目を閉じた。—ところがどこを弾いているのかわからなくなったのだ! 少々取り乱したよ。—再びフィッシャー=ディースカウに目をやると、頭の上に何か光が揺らめいている。そして額には真っ黒いしわが見えた! けれども特に照明が当たっていたわけではないんだ。普通のランプだけなのに・・・。
ユーリー・ボリソフ/宮澤淳一訳「リヒテルは語る」(ちくま学芸文庫)P269

それにしてもフィッシャー=ディースカウの歌といったら!!
彼は物語の内容に合わせて声色を縦横に変える。あまりに巧い。

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