ジネット・ヌヴー R.シュトラウス ヴァイオリン・ソナタ(1939.4録音)ほか

あの時代にしてみると、これほどの大曲の現代曲を録音のための1曲に選んだことにまずは敬意を表したい。どうやら作曲家の生誕75年を記念してのものらしいが、青年期の、後期浪漫の匂い薫る作品が、若きジネット・ヌヴーによって軽やかに、そして、溌剌と奏でられる様子が実に愛らしい。

リヒャルト・シュトラウスについて、あらえびすは次のように書く。

現代の有する最も大きな作曲家である。その作曲は一般人にとっては難解なものであるが、それはこの人の意図が尋常でなく、非凡の才能を以て、交響詩の表現力を、文学的或いは哲学的の領域にまで押し上げたからである。この人の大胆な革新態度と、強烈な箇性は、その比類の無い管弦楽法の手腕を駆使して、兎にも角にも前例の無い驚くべき作品を完成させている。好むと好まざるとに関せず、R.シュトラウスの偉大さは認めなければならぬ。
あらえびす「クラシック名盤楽聖物語」(河出書房新社)P301

少なくとも当時にあってリヒャルト・シュトラウスの音楽は、その斬新さゆえわからない人が多かったのかもしれない。悪く言えば、あの大仰な手法が好事家の受容を遠ざけただろう可能性もあるにはある。しかし、このヴァイオリン・ソナタの可憐さはいかばかりか。わずか19歳のジネット・ヌヴーによる、抒情と色彩に富む名演奏。

ジネット・ヌヴー ソナタと小品集(スタジオ録音)
・リヒャルト・シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ変ホ長調作品18
・タルティーニ:コレルリの主題による変奏曲(クライスラー編曲)
グスタフ・ベック(ピアノ)(1939.4録音)
・グルック:歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」~メロディー(ヴィルヘルム編曲)
・パラディス:シチリア舞曲(ドゥシキン編曲)
ブルーノ・ザイドラー=ヴィンクラー(ピアノ)(1938.4録音)
・ラヴェル・ツィガーヌ(1946.3録音)
・ショパン:夜想曲第20番嬰ハ短調(遺作)(ロディオノフ編曲)(1946.3録音)
・スーク:4つの小品作品17(1946.8録音)
・ディニーク:ホラ・スタッカート(ハイフェッツ編曲)(1946.8録音)
・ファリャ:歌劇「はかなき人生」~スペイン舞曲(クライスラー編曲)(1946.8録音)
ジャン・ヌヴー(ピアノ)
ジネット・ヌヴー(ヴァイオリン)

兄ジャンとの初録音のラヴェルのツィガーヌとショパンの夜想曲遺作の激しさと慈しみ、あるいは哀しみ。伴奏ピアノはあくまで謙虚だ。兄の奏でるピアノの上を何と優雅に、何と自信を持ってヴァイオリンを奏でるジネットよ。
それにしてもスークやディニーク、あるいはファリャの作品の素晴らしさ(たぶん初めて聴いたのだけれど、音の芯から惹かれる)。例えば、スークの小品において、ジネットは心よりパッションを込めて歌う。まるで、何かに憑りつかれたかのように(哀感漂う第3曲ウン・ポコ・トリステと躍る第4曲ブルレスケの対比がことのほか美しく、見事だ)。あるいは、クライスラー編曲によるファリャの「スペイン舞曲」のキレと濃密な官能。溢れる喜びに本当に嬉しくなる。

たまに旧い録音に耳を傾けると心が和む。
現代の世界にはない精神的な余裕までもがレコードに刻まれているのかも。

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5 COMMENTS

桜成 裕子

おじゃまします。
ジネット・ヌヴーの演奏するベートーヴェンのバイオリン協奏曲を偶然聴き、その名を知りました。それからいろいろとCDを集めて聴きました。自信と確信に満ちた強靭な弦の音、その音色の格調の高さ、表現の豊かさ等、異次元の演奏のように思えます。コンクールで優勝した時、2位はオイストラフだったとのこと。ショパンの夜想曲、ラベル、シュトラウス、ファリャ等、どれも素晴らしいです。その中で一番心惹かれるのはパラディスのシチリア舞曲です。(この曲はジャクリーヌデュプレも録音していて、こちらも絶品です。)それにしてもこの時代の録音のバイオリンの音はどうしてこんなにボリュームがあって強靭なのでしょうか。バイオリンを超越してまるで音程の高いチェロのような…フーベルマン、ジョコンダ・デ・ヴィート等。演奏法でしょうか、演奏家の個性でしょうか、銘器だからでしょうか、録音の関係でしょうか?
 ジネット・ヌヴーは自分のことを「職業としてのバイオリニストではなく、バイオリンの巫女のようなもの」という意味のことを言っているのを読んだことがあります。やはり、この世ならぬ霊感に貫かれていることを知っていての演奏だったのでしょうか。そう考えると納得させられる演奏です。オイストラフが脱帽したのも無理はありませんね。関係ありませんが、昔、「クライスラーもオイストラッフもかなわない」という歌詞が出て来る歌がNHKの「みんなのうた」で歌われていました。失礼しました。

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

私見ですが、古の録音は、技術が拙かったせいでしょうか、録音そのものにも時間と精力をかけて作られていた事実がポイントなのだと思います。おそらく一発録りという状況から演奏者も気合いが入るのでしょうかね、そういう要素が現代に比較して良い方に働いているのかもしれません。
ヌヴーが巫女だというのは頷けますね。僕は若い頃のチョン・キョンファにも同じような印象を受けていました。
それこそ何かに憑りつかれたように弾く様に震撼したほどです。ヌヴーもそういう人だった可能性はありますよね。30歳での夭折が返す返す残念です。

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桜成 裕子

岡本 浩和 様

 昔の録音についてのお話をありがとうございました。 
昔チョン・キョンファを聴いたことがあります。バッハ・シャコンヌの入魂の演奏が印象に残っています。岡本様が感じられた何かに憑かれたような、巫女的演奏は、巫女だけに女性に多いと思うのですが、どうでしょうか。ナージャ・サレルノ=ソネンバーグという女性バイオリニストにも感じるのですが・・・単に女性の方が感情に身を任せやすいということでしょうか。多くの演奏に接してこられた岡本様のご意見はいかがですか?

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

単に言葉の問題ですが、「巫女的」はやっぱり女性にだけ使うものでしょうね。
ただ、憑かれたような演奏というのは何も女性に限ったことではないと思います。映像でしか確認できませんが、指揮者ならフルトヴェングラーなどは間違いなくそうですし、ヴァイオリニストでもそういうタイプの男性演奏家はいると思います(具体的な名前は今思い浮かびませんが、パガニーニなんかはそういうヴァイオリニストだったのでしょう)。
ナージャの演奏については残念ながら触れたことがないので(CDでは聴いたことありますが)、何ともコメントしかねます。あ、(こちらも映像ですが)ジャクリーヌ・デュプレには何かが憑いていますかね?(笑)

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桜成 裕子

岡本 浩和 様

 お応え、ありがとうございました。
青森県の「いたこ」等、なんらかの霊が降りてくるのは女性なので、女性の身体の特徴として、なにかに憑りつかれやすいということがあるのかな?と思ったもので・・・。ありがとうございました。

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