クレメンス・クラウス指揮ウィーン・フィル R.シュトラウス 「ツァラトゥストラはかく語りき」(1950.6録音)ほか 

ロマン・ロランの作品解釈が機知に富み、また想像力を喚起し、面白い。

ここに見出される人間は、まず初めに、自然の謎によって震撼させられ、信仰の中に逃避しようとする。それから禁欲主義的な理念に反抗し、やみくもな情熱に身をまかせる。だがすぐそれにも飽き、嫌気がさして、厭世的になる。学問を志してみるが、それもまた投げ出す。そして最後に到達したのが、不安から認識へと自己を解放し、哄笑の中に自己を解き放つことだった。哄笑は世界の支配者であり、至福の舞踏であり、宇宙の輪舞であり、そこには人間のあらゆる感情が参加している。宗教的な信念、満たされない願望、情熱、嫌悪、歓喜などが。
田代櫂著「リヒャルト・シュトラウス—鳴り響く落日」(春秋社)P122-123

つまるところ、自力の限界をニーチェは悟り、「超人」という概念を生み出したのだと思うが、果たしてロランが本当に「哄笑」という言葉を(日本語の厳密な意味で)使ったのかどうなのか。ただ、ここにこそ、人間が他力に委ねざるを得ないことへの信条が隠されており、そのことをシュトラウスは知覚し、神とつながった中でかの交響詩を創り出したのだろうと思う。音楽は、人間の感覚を超える。身体の隅々はもちろんのこと、心の襞さえも超えて、魂に行き渡るのだ。

作曲家の信頼篤かったクレメンス・クラウスの表現は、何てモダンなのだろう。
ウィーン・フィルの演奏は、音符の一つ一つに思念が映される。それだけ奏者一人一人に思い入れがあるのだろう。ましてやシュトラウスが長逝して1年と経たないうちのデッカの録音。その音の充実度、生々しいこと並大抵でない。

リヒャルト・シュトラウス:
・交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」作品30(1950.6.12&13録音)
・交響詩「ドン・キホーテ」作品35(1953.6録音)
ピエール・フルニエ(チェロ)
エルンスト・モラヴェク(ヴィオラ)
クレメンス・クラウス指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

文学や哲学にインスパイアされ、音楽を創造するのは天才の常套。

霊感が訪れても、それはあまりにもかすかで漠然とした鬼火のような性質のものであり、従って定義を拒む。この上なく霊感に満たされた時であれば、明確で説得力のある幻視が目に浮かび、それは、より高められた自分自身を包み込んでいる。私はそんな瞬間、瞬間に、君や私や万物を生み出した無限で永遠のエネルギー源から、活力を得ているのを感じる。宗教ではそれを神と呼ぶ。
アーサー・M・エーブル著/吉田幸弘訳「大作曲家が語る音楽の創造と霊感」(出版館ブック・クラブ)P127-128

否、哲学者も文学者も同様に神とつながり、作品を創造するのだろうから、すべては相互触発に因るものだ。シュトラウスの言葉にも大いなる説得力がある。
それぞれの人物描写の妙。「ドン・キホーテ」がまた一層素晴らしい。愁いを帯びた、まるで人声を模したフルニエのチェロが素敵。それにしてもクラウスの指揮には余裕がある。典雅な、高貴な、匂い薫る、得も言われぬ徳がある。

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