待ちに待った音盤化。
ついに陽の目を見たクレンペラー最晩年のツィクルス映像(20年ほど前、クラシカ・ジャパンで放映されたきりか?)。当時、BBCテレビの音楽部長に就任していたジョン・カルショウの偉業の一つ。ベートーヴェンの交響曲全集史上、屈指の出来だと僕は思う。
同じ年(1967年)に彼はBBCテレビの音楽部長になりました。音楽の次に最大の情熱を注いだものは映画だと考える彼にとって、素晴らしい地位でした。そこでの業績、そのいくつかは永遠の価値を持つものですが、それはこの本の主題ではありません。
結果的に、デッカで経験した諸問題(それはこの本の中で活写されています)は、彼がBBCで初めて直面した他の要素に比べれば、創造性に対してまだしも害が少ないということを、彼は知りました―他の要素とは、労働組合による制限から、ピケラインに至るまでのものです。
~ジョン・カルショウ著/山崎浩太郎訳「レコードはまっすぐに あるプロデューサーの回想」(学研)P508
ジョン・カルショウの回想録「レコードはまっすぐに」のエピローグで、エリック・スミスは上記のように書いているが、映像嫌いだったオットー・クレンペラーを口説き落とすのにも、ジョン・カルショウは相当苦労したようだ。人手を借りて苦労しながら指揮台に上るクレンペラーを映すのは憚られ、どの交響曲も、映像はいきなり指揮台に座したクレンペラーの指揮棒の(鈍いながら)最初の閃光から始まる(しかし、音楽が始まった後の、後光が差すような空気の変容はいかばかりか)。
人には生涯にわたって心の目に焼き付いているものがある。私の場合、それはクレンペラーがやっとの思いでフェスティヴァル・ホールの階段を上る光景だ。彼は忠実なミスター・クレムに支えられ、よろめきながら舞台を横切って指揮壇にたどり着き―彼の歩く道のどちらかの側に座っている演奏者は危険を感じたであろう―クレムに付き添われて高い椅子に座ると、最初に彼の大きな杖を副首席ヴァイオリン奏者に渡し、演奏が終るとすぐ使えるよう床に置かせた。
譜面台の下に特別に設置された箱に巨大な足をしっかり乗せると、次の瞬間、彼は肉体的な廃人から精神的な巨人に変貌した―そして、身体的な障害によって時おり緊張を緩めることはあっても、真の偉大な人だけに備わる構想力の息吹きをつねに保持し続けた。
最後となるベートーヴェン・チクルスの最終コンサートのためのリハーサルが終ったあと、彼は私たちを向いてこう言った。
「諸君、君たちはこのシリーズを立派に演奏してきたと思う。私たちは良い批評も悪い批評も受けた。私が指揮する演奏はみな遅すぎるという人もいる。けれども、そんなことには興味がない。興味があるのは、私たちがベストを尽くしたかどうかということだ。ということで、また10月に会おう」
(ピーター・ビーヴァンの言葉)(川嶋文丸訳)
~KKC 9476 89 9046ライナーノーツ
ちょうど50年前の初夏、ロンドンはロイヤル・フェスティヴァル・ホールで開催されたオットー・クレンペラーのベートーヴェン・チクルスはどれもが破格の、崇高な、超弩級の名演奏である。確かにテンポは異様に遅い。しかし、クレンペラーが言うように、それが何だと言うのか!?これほどまでに魂を揺さぶるベートーヴェンが他にあるというのか!?
ベートーヴェン:交響曲全集
・交響曲第8番ヘ長調作品93
・交響曲第7番イ長調作品92
オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1970.6.21Live)
息を凝らし、コンサートに見入る聴衆、そして、曲が終わるごとに鳴り響く、怒涛のような拍手喝采に、クレンペラーに対する聴衆の尊敬の念と感謝の思いが手に取るようにわかる。
(天から降り注ぐ)交響曲第8番は、これほど巨大な、第9番「合唱」に勝るとも劣らぬ宇宙的鳴動を表す音楽だったのかとあらためて痛感する演奏。そして、十八番である(地から湧き出る)交響曲第7番の、インテンポで微動さえしない音楽の陶酔。(遅々として進まぬ)終楽章アレグロ・コン・ブリオの妙なる解放。すべてが神がかった、奇蹟のコンサート風景だ。