カーゾン クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィル ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番(1954.4録音)ほか

この滋味と慈しみは、クリフォード・カーゾンから発せられるものなのか?
ハンス・クナッパーツブッシュはただただピアノに寄り添うように、自己主張をせず、ひたすらベートーヴェンの音楽に奉仕する。透徹された客観性が、一層哀しみを助長する。
ベートーヴェンの内面に常にあった苦悩を取り出して、音に託すという方法。冒頭、独奏ピアノによる提示部から、音楽は何と柔らかく、調っているのだろう。

ベートーヴェンの日記や手紙、筆談用の会話帳には、神への熱烈な言及が豊富に見られ、確信の強さの証しとなっている。力強い確信が典型的に現れている例として、次のような言葉がある。「世界を形成している原子の配列は、偶然の出会いによるものではない。宇宙の構成に秩序や美が反映しているなら、そこには神がおられるのだ」。
ベートーヴェンの神との関係は極めて個人的なもので、人生での不公平の意味を理解しようと、彼は神と向き合った。「それ故、私は心を落ち着けてすべての矛盾を甘受し、永遠なるあなたに強い信頼を置くのです、神よ! 我が魂は、不変の存在なりし汝にありて喜べり。我が岩となり給え、我が光と、永遠に我が希望となり給え!」1815年、彼は「小さな礼拝堂」のために作曲するに当たって、静寂と充足を見出したいという気持ちさえも明らかにしている。その礼拝堂での仕事を、「永遠であられる神の栄光」に捧げようと考えたのである。

P.カヴァノー著/吉田幸弘訳「大作曲家の信仰と音楽」(教文館)P67

明らかなる神への篤い思い。
ベートーヴェンの本懐とも言うべき信仰心が、指揮者の心を、またピアニストの心を、そして聴く者の心を鎮める。無心無我の、それでいて泉のように湧き出る感謝の力に満たされる協奏曲ト長調作品58。
第1楽章アレグロ・モデラートの格別なる美しさ。モノラル録音だからこそのほの暗さと、曲に秘められる愛や恋の心情の優美さの交差がリアルに垣間見える。

ベートーヴェン:
・ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58(1954.4.4&5録音)
・ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」(1957.6.10-15録音)
クリフォード・カーゾン(ピアノ)
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

そして、第2楽章アンダンテ・コン・モートの、カーゾンの祈りのピアノに感動し、また、終楽章ロンド・ヴィヴァーチェの、クナッパーツブッシュの指揮の躍動に魂躍る。

ピアノ協奏曲ト長調作品58は、友人であるルドルフ大公に献呈された。
ベートーヴェンは、大公に対して手紙で次のように書いている。

他の誰にも増して神にお近づきすること、そして神のみそばから人々の間に神のご栄光を宣べ伝えること、これ以上に大切なことは他にありません。
~同上書P67

神との一体、すなわち他力によって創造された音楽の力強さを思う。

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6 COMMENTS

桜成 裕子

おじゃまします。
昔、学生時代、大学の寮の娯楽室で繰り返し聴いていたLPレコードがこの演奏でした。好きで聴いていたのではなく、このLPしか手元になかったからで、地味でインパクトの薄い印象でした。今回この記事を読み、埃をかぶったのを取り出して聴いてみました。2楽章のピアノとオーケストラの静かで滋味のある対話、颯爽として躍動感のある3楽章、改めて聴くことが出来て本当によかったです。
 ピアノ協奏曲4番は、実は今一つよくわからない曲の一つなのですが、その理由の一つは他のピアノ協奏曲と違ってピアノが華々しく活躍せず、なんだかオーケストラの密やかにおずおずと語り合っているような印象があるからでしょうか。2楽章はオーケストラとピアノが問答をしているような、情的に切々と訴えるピアノをオーケストラがなだめ励ましているような・・・ルドルフ大公への手紙から、人間と神の対話とも聞こえるような気がしてきました。 ありがとうございました。

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

音楽や音盤は、過去の懐かしい思い出と自ずと結びつきますよね。
微笑ましいエピソードです。

ピアノ協奏曲第4番は、確かに地味ではありますが、それこそが滋味となって顕れる名曲だと思います。
ピアノとオーケストラが混然一体となる様に僕はいつも感動します。何より冒頭のピアノ独奏による提示部が鍵を握ります。たぶんアルゲリッチが演ったら最高の名演が生れると思うのですが、残念ながら彼女は演りません。
ということで、内田光子&ザンデルリンク盤を聴いてみてください。
https://classic.opus-3.net/blog/?p=29661

ちなみに、僕が初めて聴いたのはバックハウス&イッセルシュテットのレコードでした。
https://classic.opus-3.net/blog/?p=18657

これは刷り込みもありますが、やっぱり美しい、バックハウスらしい名演奏だと今でも思います。

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桜成 裕子

岡本 浩和 様

 コメントとご紹介、ありがとうございます。
早速、内田・ザイデルリンク版を聴いてみました。オーケストラの森の中から蛍のようなピアノの美しい光が発光して森全体が厳かに輝いているような印象を受けました。
 「たぶんアルゲリッチが演ったら最高の名演」とのこと。スティーブン・ビショップ・コワセヴィチがアルゲリッチに「自分が神だったら、ベートーヴェンの4番とラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲を君に弾かせる」と言ったということや、アルゲリッチはコワセヴィチの弾くベートーヴェン4番を聴いて魅せられた、と読んだことがあるのを思い出し、コワセヴィチの4番を聴いてみました。3楽章がこれまで聴いたことがないほど速くキラキラしと躍動的でした。この勢いでバックハウスも聴いてみます。ありがとうございました。

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

コヴァセヴィチの演奏は未聴ですが、いずれにせよ同曲異演盤を聴く行為は、作品に対する理解を深めるのに最適ですよね。ベートーヴェンの協奏曲第4番は傑作だと思うので、バックハウス盤に限らず、いろいろと聴いてみていただきたいと思います。

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桜成 裕子

バックハウス、グールド、ゼルキン、ルプー等を聴いてみました。4番を何度も聴いていると、やはり他のベートーヴェンのピアノ協奏曲との違いが強く感じられました。オーケストラとピアノが混然一体、ということがわかったような気がします。グールドの解説によると、「管弦楽と独奏楽器の関係がベートーヴェンに於いて頂点に達したのが4番」とのこと。また協奏曲の発想として「攻撃と躊躇、威嚇と懇願」とあり、これは2番について言っていることですが、4番の2楽章にこの協奏曲の発想が如実に顕れていると思われました。それはグールドの演奏に強く感じられたことで、バックハウスの2楽章の演奏では、ピアノは管弦楽と相対するのではなく、お互いに補完し合っているように感じられました。 4番について理解を少しでも深めることができ、感謝します。

 

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

第4番は、提示部がピアノ独奏から始まるという独創性が特長ですが、まさにピアニスト、ベートーヴェンの革新的発想の真骨頂だったのだろうと想像します。結果的に管弦楽とピアノが対等になり、グールドが発言するような結果になったのでしょう。
その意味で、ピアニストの個性が発揮される作品ですよね。名曲です。
ベートーヴェンはどの作品においても新しい挑戦をしているところが目を離せません。
引き続きベートーヴェンを追究していきたいと思います。
あらためてよろしくお願いします。

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