ギリシャ神話のプロメテウスのエピソード。
彼によって粘土の像に理性と感情が吹き込まれるその事実こそ、人間の持つ原罪の礎となる「思考の鎧」の創出であり、僕たちがいわば陰陽二気の世界に迷い、真理というものを忘れてしまうきっかけとなったものだと思われる。
ベートーヴェンは、20代にあってすでに世界が陰陽相対で、矛盾に満ちたものであることを知っていた。例えばその萌芽は、イタリアのバレエ作家であり、また舞踊家でもあったサルヴァトーレ・ヴィガーノの委嘱によって創作された(残された唯一のバレエ音楽である)「プロメテウスの創造物」にあろう。物語のベースは悲劇だが、結末は喜劇に転じ、賑やかな饗宴が繰り広がられるという構成は、ベートーヴェンが生涯にわたって性格の異なる2種の作品を同時に生み出すことが多かった事実と重なるようだ。それに、嘘か真か、ベートーヴェンの辞世の句が「諸君、喝采を、喜劇は終った」だということも、この世のすべてが幻想であり、茶番であることを彼が見抜いていたことと根底で一致するようで実に興味深い。
シンフォニー(第1番)と同じ2分の2拍子、アレグロ・コン・ブリオで始まる第1主題もまた同一モティーフから引き出された異形である。聴き手はちょうど1年前の衝撃的な体験を思い出しつつ、同一人がより次元の高い挑発に打って出た、と感じ取ったことだろう。しかし続く展開はいっそう手の込んだものであり、「嵐」部分は、後世から見ればシンフォニー第6番第4楽章を先取りし、おそらく激しい風雨のなかに、泥と水から最初の人間を創り出したプロメテウス=ヴィガノが登場するのであろう。
~大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築2」(春秋社)P470-480
序曲から、「嵐」と題されるイントロダクションが出色(青年ベートーヴェンの本懐)。第1幕も第2幕も、管弦楽だけを取り出してみても相当の力作であることがわかる。ただ、確かに後年の傑作たちのように随所にひらめきが刻印されているかと言えばさにあらず。それゆえか、現在においてはコンサートで披露されることは極めて稀だ。
・ベートーヴェン:バレエ音楽「プロメテウスの創造物」作品43(1801)
レイフ・セーゲルスタム指揮トゥルク・フィルハーモニー管弦楽団(2017.5.22-24録音)
伴奏音楽としてではなく、あくまで絶対音楽として捉えるセーゲルスタムの解釈。音楽は中庸で、無理なく、ベートーヴェンの深層を抉りながら、淡く、軽快に進行する。メリハリの利いた第2幕が素晴らしい(ベートーヴェンが管弦楽曲に唯一ハープを用いた、9分余りの第5曲の美しさ)。あるいは、ベートーヴェン愛着の主題を用いた第16曲アレグレットに溢れる喜びの表現は、セーゲルスタムの思念の顕現。
ところで、本作の1801年3月28日の初演は大成功だったという。そして、1802年8月29日までに都合28回も上演されたというのだから、かなりの人気を獲得した作品だったと言える。そういえば、この頃のベートーヴェンは耳疾と慢性的な下腹部痛に悩んでいたのだが、そんなことを一切感じさせない音楽の方法に驚きを隠せない。