ザンデルリンク指揮フィルハーモニア管 ベートーヴェン 交響曲第4番ほか(1981.1録音)

あなたは私のことを不信の目でご覧になるでしょうが、やむを得ぬ事情があり、あなたのために書いたシンフォニー(第5番)、そしてそれに加えてもう1曲(第6番)も別のある方に売却せざるを得ませんでした―しかしあなたのためと定められているもの(第4番)をあなたがまもなく入手されるのは確実です。
(1808年11月1日付、オッパースドルフ伯宛書簡)
大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築2」(春秋社)P632

彼にとってパトロンの存在は絶対で、何より作品の委嘱に対しては必死で応えようとした跡がみられることから、やはりベートーヴェンは創作活動をあくまで生活の糧の一環であると考えていたことは間違いなさそうだ。
大崎滋生氏は、一連の傑作交響曲群の創作の流れを推測して次のように書くが、実に的を射たものだ。

第3番《エロイカ》と直接つながっているシンフォニーは第4番ではなく、第5番であり、第4番の作曲と第5番のそれは直接的に連続したものであり、さらに、後に見るように、第6番もそれに連なって完成される。第4~6番は“3曲セット”とまではいわないが、作曲過程としては団子状に続いたものであり、番号は確かに完成順に振られたものだが、着手の順番はそうではなく、そこにオペラ作曲が挟まり、その終了後に特殊なシンフォニーの作曲依頼を受けたことで第3番と第5番の連続性は絶たれたのである。そして先に完成した第4番が第3番に続くシンフォニーのような格好となり、巨大な前作に、性向をまったく異にする、小規模で軽い作品が続いたように見え、ここで“一休み”といった印象を与えることとなった。しかしそれは、第2番のような新作を所望した、オッパースドルフ伯の注文に誠実に応えたからである。
~同上書P634

それにしても当時のベートーヴェンの一向に衰えることのない創作力にまずは度肝を抜かれる。そして、一見小規模で軽い作品に見える交響曲第4番が、実はそうではない側面も秘めているだろうことをこのエピソードからも推測でき、興味深い。
実際、交響曲第4番は、重く、また意味深く深遠な作品であると捉えることも可能だ。

ベートーヴェン:
・交響曲第4番変ロ長調作品60
・交響曲第5番ハ短調作品67
クルト・ザンデルリンク指揮フィルハーモニア管弦楽団(1981.1.4-7録音)

オットー・クレンペラーの晩年の解釈に、若々しさを付加したような輝かしい演奏。一貫して安定した重厚なテンポで繰り広げられる交響曲第4番は、気力充実のベートーヴェンの本性を前面に押し出すような美演。とはいえ、一層素晴らしいのは交響曲第5番ハ短調。そもそもベートーヴェンの生来の誠実さが完璧に刻印されるこの交響曲の堅牢さは、彼の全作品の中でも随一のもの。その傑作を、ザンデルリンクはいかように料理したのか。すなわち正統に、揺るぎない確信をもって彼は音楽を徹底的に推進したのである(第2楽章アンダンテ・コン・モート―ピウ・モッソ―テンポ・プリモの飛翔が美しい)。

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2 COMMENTS

桜成 裕子

おじゃまします。似非ベートーヴェン好きです。4番のどの楽章のメロディーも思い出せません。第4番を聴いてみました。私の貧しい想像力の産物ですが、1楽章を聴いて、どこかの広い田園地帯で健全で善良な勇士たちが何かの競技会をしているイメージが浮かんできました。第2楽章ではその優秀者を表彰式で、花の冠を冠り、花籠を持った美しい乙女たちが次々と入場してきて勇者の名誉を寿ぎます。第3楽章は近隣の村々の老若男女が集まり、混然一体となって踊ります。第4楽章はそのような神々の明るい祭りのイメージです。第3楽章の雰囲気は田園交響曲を想起させます。第4番をじっくり聴く機会をくださり、ありがとうございました。
 ところで、ここで岡本氏が書いておられる「彼にとってパトロンの存在は絶対で、何より作品の委嘱に対しては必死で応えようとした跡がみられることから、やはりベートーヴェンは創作活動をあくまで生活の糧の一環であると考えていたことは間違いなさそうだ。」についてですが、果たしてパトロンの存在は絶対だったのでしょうか。作品を依頼し金銭で買ってくれ、それを実際に演奏・流布してくれる貴族は、もちろんベートーヴェンの作曲活動にとってなくてはならない存在だったでしょうが、大崎滋生氏の「ベートーヴェン像再構築2」の第4・第5交響曲に関する貴族との駆け引きが書かれている部分によると、オッパースドルフ伯から依頼された第4を、オ伯から代金を受け取っているにもかかわらず、自分に有利な条件で演奏してもらえるという理由でロプコヴィッツ候にその専有演奏権を与えたり、その埋め合わせに5番を提供すると提案し、そのための代金の前金をオ伯から受け取っているにもかかわらず、それはオ伯のオーケストラでは演奏不可能な楽器編成の曲(第5番)であったり、結局5番はロプコヴィッツ候とラズモフスキー伯に献呈、もともとオッパースドルフ伯のオーケストラ用に書いた4番は献呈名こそオ伯だけど、実際に演奏されたかどうかはわからずじまい、という…あまりに伯をないがしろにしていると言えないでしょうか?ベートーヴェン自身はそんな悪意はなかったとしても、とても必死で応えようとしているようには思えません。またリヒノフスキー候と、自分のプライドのことで仲たがいをして年金を危うくしたエピソードや、3人の貴族による年金契約においても、作曲した作品は貴族たちの物になるのではなく、演奏や出版はベートーヴェンが自由にできるようになっていたということからも、(パトロンとの関係から)「創作活動があくまでも生活の一環と考えていた」というより、創作活動が第一義で、パトロンはあくまでもそれを支える重要なファクターだった、という印象なのですが。
 それにしても手紙や領収書などが残っていて、曲に関する貴族とのやりとりが追跡できることに驚嘆します。ベートーヴェンは自分の創作活動や野心とパトロンの支援の平衡を取るためにいろいろ腐心していたのだなあ、と感慨深く思いました。 ありがとうございました。

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

コメントをありがとうございます。
交響曲第4番はじっくり聴き込むと、美しい旋律多々で、ベートーヴェンのまた違った一面がよく顕れた傑作ですので、聴き込んでいただければと思います。

さて、パトロンの件ですが、僕なりの見解をお答えいたします。
ベートーヴェンはとても自律的な人であったと考えます。その意味で貴族にすがっていたのではなく、作品を世に広めることと生活していくために、(当時の社会的情勢から)どうしても貴族との連携が必須であったのだと思うのです。もちろんそこには細かい人間関係の機微や計算、あるいは駆け引きは当然あったでしょう。
以前も書きましたが、作曲家ですから作品の創造は第一であることは間違いありません。ただ、そこにパトロンなくしてすべては成り立たず、献呈行為は「絶対」で、創造活動という点でやっぱりベートーヴェンとパトロンとは一心同体だったと言わざるを得ないと思うのです。

ありがとうございます。

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