パーティーなどに参加してみてつくづく感じるのだが、人間というのはやっぱり「寂しい」ものなんだと。200名近くの見知らぬ人たちが集まり、名刺交換をする。どういう因果があるのかわからないが、ビールを傾けながらとにかく目の前に現れる人と話をする。音楽談義で盛り上がる場合もある。仕事の話で接点が見つかる場合もある。それはそれで楽しく意義あることである。
しかし、「寂しさ」を紛らわそうと見知らぬ大勢の人間に会えば会うほど、実は「孤独」に一歩ずつ近づく。だから、そんなに大勢じゃなくていい。「親和」のコミュニケーションができる友人や恋人が数人いればそれで人生バラ色なのだ。
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番ヘ長調作品135
アルバン・ベルク四重奏団
ベートーヴェンが最後に書いた弦楽四重奏曲。この最後の四重奏曲以降、楽聖はまとまった大曲を書いていない。つまり、ある意味ベートーヴェンがその作曲家人生の総集編として世に送り出した楽曲なのである。晩年のベートーヴェンはオーソドックスな4楽章制を破棄し、様々な試みに挑戦した。ピアノ・ソナタ然り、交響曲然り。どれをとっても人間業を超えた「神の領域」に達している。
一見何の変哲もない、古典的な枠の中に収まっているように見える。しかし、その精神性、その内容の深遠さは聴けば聴くほど広く深くなる。瞑想をしながらしっかりとグラウンディングをし、縦横無尽に意識を宇宙全体に広げるような感覚。
そう、完全に肉体を離れた「魂」だけの「叫び」、「想い」に純化した最高のマスター・ピースなのである。まるで「音のない世界」を「音」によって表現しているような。
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