ニルソン テバルディ ビョルリンク トッツィ ラインスドルフ指揮ローマ歌劇場管 プッチーニ 歌劇「トゥーランドット」(1959.7録音)

異国情緒溢れる名旋律の宝庫。
遺作となった未完の歌劇「トゥーランドット」は、ユニゾンによる激しい冒頭から「誰も寝てはならぬ」の名旋律から成る最後の合唱まで実に生命力に富み、聴く者を圧倒する。

一つの点で、我々イタリア人はドイツの作曲家にまさっている。それは、長調を用いて限りなく深い悲しみを表現する能力だ。
アーサー・M・エーブル著/吉田幸弘訳「大作曲家が語る音楽の創造と霊感」(出版館ブック・クラブ)P192

ジャコモ・プッチーニの天才の創造力にまつわる秘密、その証言に膝を打つ。
しかし、例えばモーツァルトの場合はどうか?
モーツァルトは独墺系の作曲家だけれど、長調を用いて限りなく深い悲しみを表現できたではないか?

もはや比較など不要だ。優劣を問うのすら憚られる。ヴェルディもプッチーニも、もちろんワーグナーもリヒャルト・シュトラウスもそれぞれの個性の中で素晴らしい傑作たちを生み出し続けたのだ。

私はドイツ語はまったくわからないが、この言葉を流暢に話すバッツィーニが次の一文を教えてくれた。
『イタリア人は、響きの根源的な美しさに対して、生まれつきの際立った感覚を備えている』。
ここに、ドニゼッティやヴェルディ、それに私が拠って立つ礎があり、そこでは音の美しさを優先させて劇的な緊張感を犠牲にする。これは基本的に、《リゴレット》《アイーダ》《ルチア》それに《トスカ》での、常套的な手法からの逸脱を説明している。私はこの4つの作品についてだけ、君の注意を促した。他にも例は多いが、私の言いたいことを示すにはこれで十分だ。よく考えてみてくれ、エーブルさん。イタリアの歌劇をドイツのものと比べてみて欲しい。そうすれば、我々イタリア人がドイツ人よりも、悲しみや憂い、心の苦しみを、長調でより効果的に表現できるのを確信するだろう。ドイツ人なら、同じ感情を表わすのに短調に頼るに違いない。

~同上書P197

プッチーニの主張はよくわかる。しかし、民族性、国柄、歴史的背景、文化の違いなどなど、そもそもの立脚点が異なる以上、悲しみや憂いを長調で表現しようが短調で表現しようが人の心を打つのであればどちらでも良いことだ。

・プッチーニ:歌劇「トゥーランドット」
ビルギット・ニルソン(トゥーランドット、ソプラノ)
ユッシ・ビョルリンク(カラフ、テノール)
レナータ・テバルディ(リュー、ソプラノ)
アレッシオ・デ・パオリス(アルトゥム、テノール)
ジョルジオ・トッツィ(ティムール、バス)
マリオ・セレーニ(ピン、バリトン)
ピエロ・デ・パルマ(パン、テノール)
トマゾ・フラスカーティ(ポン、バス)
レオナルド・モンレアーレ(中国の役人、バス)
アデリオ・ザゴナーラ(ペルシャの王子、バリトン)
アンナ・ディ・スタシオ(トゥーランドットの女中、ソプラノ)
ネリー・プッチ(トゥーランドットの女中、ソプラノ)
ミリアム・フナリ(トゥーランドットの女中、ソプラノ)
ローマ歌劇場合唱団(合唱指揮:ジュゼッペ・コンカ)
エーリヒ・ラインスドルフ指揮ローマ歌劇場管弦楽団(1959.7.3-11録音)

真夏のローマの熱気までもが録音されているかのような熱さに言葉がない(実際スタジオはとんでもない暑さだったらしい)。

ローマの猛暑、特に録音スタジオは我慢できないほどの暑さだったが、冷房がなかった。ソリスト、合唱、オーケストラと最後の一人まで全員そろったホールで、録音が長時間続くと、もう酸素切れのような感じがした。最近ではこうした悪条件での録音は考えられないが。
このすさまじい暑さを思い出したところで、当時の別の思い出で息抜きしてみたい。ローマの暖かな宵は、素晴らしいの一言に尽きる。ユッシとアンナ・リーサは、トラストヴェレにあるお気に入りのレストランによく連れていってくれて、そこで私は初めて生のいちじくを食べた。メロンといちじくとハムは、舌が落ちるようなおいしさだ!

ビルギット・ニルソン/市原和子訳「ビルギット・ニルソン オペラに捧げた生涯」(春秋社)P416-417

ニルソンの十八番トゥーランドットは、極限的な残忍さと、一方で最終的に愛に目覚める美女の官能をミックスした人後に落ちない歌唱であり、役柄だと思う。やはりクライマックスとなる第3幕がベストであろうか。ビョルリンクのカラフも素晴らしい。そして、ラインスドルフのかちっとしたオーケストラ処理も抜群だ。それこそ、作曲者がいかにイタリア優位を誇示しようとも民族を超えた創造のあり方にこそ真の感動が宿るのだという証だ。

カラフがトゥーランドットに「死の姫よ!」と語りかけ、接吻するシーン以降、ついに目覚めるトゥーランドットの本性に心が動く。何より短くも明朗な第2場(最終場)の大団円に釘付けにされるのだ(「その名は愛!」と叫ぶトゥーランドットの内なる慈しみよ)。

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