堂々たる、自身に満ちた創造物。
並はずれて背が高く、その突き刺すような眼光がマーラーを思わせるクレンペラーが指揮台にあがったとき、会場に軋む音が走った。
~E・ヴァイスヴァイラー著/明石政紀訳「オットー・クレンペラー―あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生」(みすず書房)P146
存在そのものに威光のあったオットー・クレンペラーの音楽は、特に晩年の商業録音は、恐るべき巨大さに支えられながら、決して独活の大木にはならず、繊細さと喜びに満ち、聴く者に感動を与えるものだ。
壮年期の彼の指揮は、天才的なオーケストラ把握力をもって、ライヴァルであるフルトヴェングラーやワルターのそれとは正反対のものだったそう。
その感嘆の念を起こさせるオーケストラ装置の把握力は、ただでさえ巨躯のクレンペラーの姿の虜になっていた聴衆にもすぐさま伝わった。(・・・)オットー・クレンペラーのような比較的若い(・・・)指揮者が、これほどの大当たりをとることは滅多になく、彼の解釈もフルトヴェングラーやヴァルターのほとんど正反対と言えるものだった。
~同上書P146
古典派の作品にあるオーラを引き出す魔法。それでこそハイドンが生き返る。
そこには人為なく、あくまで自然に導かれるように音楽を鳴らそうとする姿勢。彼が最も大切にするのは呼吸だ。
第95番ハ短調は最晩年の録音だけあり、すべてを悟ったともいうべき老練の境地を示す。第1楽章アレグロ・モデラートの優しい眼差し(ここには、若き日の鋭い眼光はもはやない)。また、第2楽章アンダンテ・カンタービレの深い思念!雄渾な第3楽章メヌエットを経て、終楽章ヴィヴァーチェの解放!
そして、「軍隊」交響曲第1楽章序奏アダージョの意味深い響き、移って主部アレグロの、いかにも「音楽の喜び」の顕現。ここはクレンペラーの独壇場。
さらに、最高というべきは、第102番変ロ長調。第1楽章序奏ラルゴの夢見る仄暗い楽想から主部アレグロ・ヴィヴァーチェの勢いある音楽に転じる瞬間のマジック。第2楽章アダージョも文句なく美しい。何て血の通ったハイドン!
音霊こそ真価なり。