クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管 ハイドン第95番(1970.2録音)ほかを聴いて思ふ

堂々たる、自身に満ちた創造物。

並はずれて背が高く、その突き刺すような眼光がマーラーを思わせるクレンペラーが指揮台にあがったとき、会場に軋む音が走った。
E・ヴァイスヴァイラー著/明石政紀訳「オットー・クレンペラー―あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生」(みすず書房)P146

存在そのものに威光のあったオットー・クレンペラーの音楽は、特に晩年の商業録音は、恐るべき巨大さに支えられながら、決して独活の大木にはならず、繊細さと喜びに満ち、聴く者に感動を与えるものだ。
壮年期の彼の指揮は、天才的なオーケストラ把握力をもって、ライヴァルであるフルトヴェングラーやワルターのそれとは正反対のものだったそう。

その感嘆の念を起こさせるオーケストラ装置の把握力は、ただでさえ巨躯のクレンペラーの姿の虜になっていた聴衆にもすぐさま伝わった。(・・・)オットー・クレンペラーのような比較的若い(・・・)指揮者が、これほどの大当たりをとることは滅多になく、彼の解釈もフルトヴェングラーやヴァルターのほとんど正反対と言えるものだった。
~同上書P146

古典派の作品にあるオーラを引き出す魔法。それでこそハイドンが生き返る。
そこには人為なく、あくまで自然に導かれるように音楽を鳴らそうとする姿勢。彼が最も大切にするのは呼吸だ。

ハイドン:
・交響曲第95番ハ短調Hob.I:95(1970.2.9-10録音)
・交響曲第100番ト長調Hob.I:100「軍隊」(1965.10.20-21録音)
・交響曲第102番変ロ長調Hob.I:102(1965.9.25-26&10.19録音)
オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

第95番ハ短調は最晩年の録音だけあり、すべてを悟ったともいうべき老練の境地を示す。第1楽章アレグロ・モデラートの優しい眼差し(ここには、若き日の鋭い眼光はもはやない)。また、第2楽章アンダンテ・カンタービレの深い思念!雄渾な第3楽章メヌエットを経て、終楽章ヴィヴァーチェの解放!

そして、「軍隊」交響曲第1楽章序奏アダージョの意味深い響き、移って主部アレグロの、いかにも「音楽の喜び」の顕現。ここはクレンペラーの独壇場。

さらに、最高というべきは、第102番変ロ長調。第1楽章序奏ラルゴの夢見る仄暗い楽想から主部アレグロ・ヴィヴァーチェの勢いある音楽に転じる瞬間のマジック。第2楽章アダージョも文句なく美しい。何て血の通ったハイドン!

音霊こそ真価なり。

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