アバド指揮ロンドン響 メンデルスゾーン 交響曲第2番「讃歌」(1984録音)

信仰について語る。
現代に蔓延する心の問題を解決するには、当然だと思っている前提を当然としないことから始まるのだと思う。例えば、地球の運行や、あるいは人間の生命活動や、すべてが調和の中にあることを理解するために、常識というものに疑問を持つことが大切だ。
科学万能の時代であるがゆえの矛盾。
かつて浪漫主義の時代の、いまだ科学と信仰のバランスがとれていただろう時代の空気感。フェリックス・メンデルスゾーンの作品に通底する、目に見えない力への畏怖というものの力強さ、というか鮮烈さ。「讃歌」と題される交響曲の、「スコットランド」交響曲に優るとも劣らぬ深遠さに僕はいつも感化される。

・メンデルスゾーン:交響曲第2番変ロ長調作品52「讃歌」(1840)
エリザベス・コンネル(ソプラノ)
カリタ・マッティラ(ソプラノ)
ハンス・ペーター・ブロホヴィッツ(テノール)
ロンドン交響合唱団
クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団(1984録音)

初めてこの作品を聴いたとき、僕はメンデルスゾーンを天才だと思った。
第1部第1曲シンフォニアがすべて。第1楽章序奏部マエストーソ・コン・モートの主題の喜びに満ちた開放感は、大袈裟だけれど言語を絶するもの。この音響の中にずっと浸っていたいとさえ思った。スケルツォに相当する第2楽章アレグレット・ウン・ポコ・アジタートを経て、第3楽章アダージョ・レリジオーソの敬虔な官能(?)。聖凡相合わさる魅力的な音楽には、後の「スコットランド」交響曲(1842年)や前の「イタリア」交響曲(1833年)の木魂が聴こえるのである。
第2部は、マルティン・ルターの旧約聖書ドイツ語版から歌詞がとられているが、3人の独唱者と合唱の織り成す音楽に人声の俗的美しさを思う(崇高な聖なる楽句をいかにも人間臭く歌わせる様子にアバドらしさ?を思う)。

いまこそ皆、神に感謝せよ、
心と口と手をもちて。
あらゆる苦難の時にも神は
我らにその慈悲をくださるがゆえに。

壮大な第8曲の神々しさ。感謝あるのみ。

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