ヴィテク バーンスタイン指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管 マーラー 交響曲第4番(1987.6Live)

バーンスタインにとってマーラーは特別な存在だった。

私たちの時代はマーラーの時代です。彼が書いたものはすべて、私たちの人生と密接に関わっています。また、そうしたことは、2つの時代に、つまり、息を引き取りつつある時代と嵐の荒れ狂う新しい世紀との間にまたがって、人間として、また芸術家としての固有の人生を生きた作曲家の大きな取り柄になっていると私は思います。
バーンスタイン&カスティリオーネ著/西本晃二監訳/笠羽映子訳「バーンスタイン音楽を生きる」(青土社)P141

取り巻く世界がガタガタと大きな音を鳴らして揺れ、壊され、新たに再生される中で、マーラーの魂はどんなときも純粋無垢で正直だった。

彼の音楽は、時代の激変に押し流されて、もはや戻っては来ない過去に逃げ込みながら、絶えず純粋な世界を夢想している人間を私たちに明らかにしてくれますから。それに、マーラーが、彼の交響曲の中で厳密に音楽的な観点から洞察し実験した事柄すべては、他の作曲家たちによって、完全に実現されたわけではないけれど、少なくとも続けられはした、と今日では言えます。
~同上書P143

最晩年のバーンスタインは、自身の内にもマーラーの影を見出し、彼の背中を追っていたのだろうか。マーラー作品に限らず、彼の指揮する音楽は常に粘り、うねり、僕たちの心を刺激した。そこには実験精神があった。

初めて聴いたマーラーの交響曲を思い出せますか?

そんな質問にバーンスタインは次のように答えている。

第4番。ブルーノ・ワルターの指揮だった。大学生の頃。めちゃくちゃに感動したね。特に第3楽章。
ジョナサン・コット著/山田治生訳「レナード・バーンスタイン ザ・ラスト・ロング・インタビュー」(アルファベータ)P109

バーンスタインの筆舌に尽くし難い感動がこの簡潔な言葉から伝わってくる。

最晩年のバーンスタインの挑戦の一つは、交響曲第4番の終楽章の独唱にボーイ・ソプラノを起用したことだろう。

・マーラー:交響曲第4番ト長調(1900)
ヘルムート・ヴィテク(テルツ少年合唱団)(ソプラノ)
ヤープ・ファン・ズヴェーデン(独奏ヴァイオリン)
レナード・バーンスタイン指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(1987.6Live)

第1楽章から主観の強い、相変わらず粘る指揮は、マーラーの音楽にはぴったりだ。
第3楽章の天国的な音響に、マーラーの音楽の美しさを思う。
リリース当時、賛否両論、否、否定的見解の方が多かった終楽章のボーイ・ソプラノ起用についてはあの頃僕も同意見だった。しかしながら、35年を経た今、思いは少々異なる。
他の一切の録音を忘れ、虚心に耳を傾けたとき、聴こえてくるのは天上の天使の明るい声ではなく、むしろ煉獄にあって不安に怯える魂の声だろう。現世に迷い、輪廻の中にあって迷い、自らも結局のところ生死の解決にはほど遠かったマーラーの救いを求める声だ。
マーラーの影を追っていたバーンスタインも同様の想いを抱いていたのかもしれない。
何だかとても悲しい曲だ。そして哀惜溢れる演奏だ。

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