
アントン・ブルックナーは不器用な人だった。
世渡りは下手、自信はない、何もかもが後手、後手で、周囲の言葉に翻弄され続けた。しかし彼は、ある意味、聖なる愚者だといえまいか。
1867年、成功裡に終わったミサ曲第1番初演直後から彼は深刻な神経素弱に陥る。疾患治癒のために訪れた湯治場からのヴァインヴルム宛の書簡には次のようにある。
怠けていたどころの騒ぎじゃないんだ。私は完全に打ちのめされ、見捨てられていた。完璧な神経衰弱、神経過敏に陥っていた! まったくひどい状態だったよ。君だけに打ち明けるんだ、人には話さないでくれ。もう少しで手遅れになるところだった。リンツのファーディンガー医師からは、発狂するかも知れないとも言いわたされた。すんでのところで先生に救われたよ。5月8日から(8月8日までの予定で)グラインに近い湯治場クロイツェンに来ている。数週間前からいくらか持ち直したが、まだ演奏も勉強も作曲も禁じられている。なんて運が悪いのか、私はつくづく哀れな男だ。ヘルベックは私の声楽ミサと交響曲を送り返してきたが、何の返事も添えていない。そんなにひどい曲だというのか?
~田代櫂「アントン・ブルックナー 魂の山嶺」(春秋社)P71
こうやって自分の状態を客観的に振り返ることができたことは幸いにも回復したという証だろう。しかし、彼の気難しい(?)、不安定な性格は生涯変ることはなかった。
彼の音楽は「未来音楽」と称された。周囲の知力を完全に超えていたのがブルックナーの才能だったのだと思う。超えていれば、返答のしようがないゆえに。
聖なるアントン・ブルックナーのモテット集。
アルバムの劈頭を飾る「アヴェ・マリア」からなんという透明な美しさ。
混声合唱のための『アヴェ・マリア』は、成熟を迎えたブルックナーによる最初の作品である。リンツ新大聖堂の建立ミサの際、ブルックナー指揮でフロージンにより初演され、「リンツ新聞」紙上で高い評価を得た。
~同上書P49
ドレスデンはルカ教会での録音。初期から最晩年に至る宗教合唱曲は、交響曲作家アントン・ブルックナーの別の側面、真の信仰が秘められた実に敬虔なる音楽の宝庫である。
静謐なるフレーミヒの棒。信仰明らかな彼の音楽作りは、ブルックナー同様ある意味朴訥だ。ただし、それゆえに普遍性を確保し、永遠に美しいのである。
すべては心の在り様だが、僕たちはこの身体を持った有限世界に生きている以上、信仰だけでは生きていけぬのがその実。聖俗のバランスをいかに保つかが鍵だ。