ロストロポーヴィチ指揮ロンドン・フィル ショスタコーヴィチ 歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」(1978.4録音)

ムツェンスクの郡都の商家に嫁いだ若い人妻、魅惑的な女主人公カテリーナ・イズマイロヴァは、使用人のセルゲイと密通し、恋の虜となり、愛人のために舅と夫を殺し、さらにイズマイロフ家の遺産相続権をもつ幼い甥をも殺害する。カテリーナとセルゲイは現場を押さえられて逮捕され、裁判でシベリア徒刑を言い渡される。他の囚人たちとともにシベリアに護送の途中、カテリーナは愛人のためにありとあらゆる困苦を耐えているのに、セルゲイのほうは彼女を辱めたあげく、若い女囚ソーネトカに心を移す。そして囚人の群れがヴォルガ河を渡るとき、カテリーナは恋敵ソーネトカを道づれにして橋から冷たい水中に身を投げ、この第4の殺人と自殺で物語は終わる。
(水野忠夫「粛清の暗闇を打破る人間の情念と音楽のエネルギー」)
~「レコード芸術」1980年12月号

40年前の僕には到底理解できなかった世界。
男女の関係や親戚縁者の関係は、過去世の因縁、それも怨恨仇から成るのがほとんどだそうだが、終わることのない悲劇の1ページをショスタコーヴィチは見事に音化した。

父は《ムツェンスク郡のマクベス夫人》の音楽のみならず、台本も書きました。だからこのオペラは、父にとっていっそう愛着ある作品だったのでしょうね。父はいつも自分の作品を、我が子のように扱っていました。そして、検閲や不公平な批評にことのほか苦しんだ作品を、他のものより大切に思っていたようです。オペラ《ムツェンスク郡のマクベス夫人》の場合は劇的というより、悲劇的な運命を辿りました。台本作家ショスタコーヴィチは、オペラが音としてどう響くかだけではなく、舞台でどう映るかということまで、はっきり思い描いていました。
ミハイル・アールドフ編/田中泰子・監修「カスチョールの会」訳「わが父ショスタコーヴィチ 初めて語られる大作曲家の素顔」(音楽之友社)P120-121

マクシムの言葉には、いつも父ドミトリーへの愛が宿る。
初演時、「荒唐無稽」と公言されたこのオペラも、未来の耳で聴けば決して「荒唐無稽」には映らない。耳をつんざくような革新的な音調よりも、むしろムソルグスキー的な、ロシアの土俗的民族性の十分投影された、詩情に溢れた(?)音楽が全幕を通じて紡がれるのだ。

ロストロポーヴィチは、西側への亡命に先立って、ショスタコーヴィチ自身からこのオペラのオリジナル版による全曲録音を遺言として依頼されていたのだという。このオペラをあらためて世に問うた彼の功績はとても大きい。

・ショスタコーヴィチ:歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」(1930-32)
ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(カテリーナ・イズマイロヴァ、ソプラノ)
ニコライ・ゲッダ(セルゲイ、テノール)
ディミテール・ぺトコフ(ボリス・イズマイロフ、バス)
ヴェルナー・クレン(ジノヴィ・イズマイロフ、テノール)
ロバート・ティアー(ボロを着た百姓、テノール)
タルー・ヴァリャツカ(アクシーニャ、ソプラノ)
ビルギット・フィンニレ(ソーネトカ、アルト)
マータイン・ヒル(教師、テノール)
レオナルド・ムルーズ(司祭、バス)
アーゲ・ハウグランド(下士官、バス)、ほか
アンブロジアン・オペラ・コーラス
ジョン・マッカーシー(合唱指揮)
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(1978.4.1, 3, 5-7, 10, 11, 16, 19-22録音)

物語中の登場人物の業を払いのけるほどの気迫と、音楽への共感は亡命者ロストロポーヴィチならではの(ソヴィエト当局からの国籍剥奪に対する)怒りと郷愁の表れなのか?指揮者ロストロポーヴィチが、いつにも増して音楽にドライヴを掛けている様がわかる。

この録音がリリースされた当時の、三浦淳史、柴田南雄、村上陽一郎という大御所3者の鼎談が興味深い。

村上 ものすごい集中力ですね、これは。
柴田 ロストロポーヴィチの、一種異常な状況下での熱狂的な心情の表われですね。彼のチャイコフスキーの全集はそのちょっと後になるのでしょうか。
三浦 そうです。その後になります。
柴田 あれは一転して非常にセンチメンタルな音ですね。亡命ロシア人たちの心情に訴えるような、とても泣かせる演奏でしょう、いわば。これは全然そうじゃなく、燃えたぎっていますよね。
村上 ほんとにそうですね。
三浦 国籍を剥奪された翌月にやっていますからね。やはりこういうのがほんとの芸術家という感じがしますね。普通の人間ならそれでまいっちゃったり何かして仕事ができないでしょうけれども。まあ大したものですね。

~「レコード芸術」1981年1月号P153

例えば、全裸で眠るカテリーナ(全裸とは!?)のもとへ、セルゲイが入ってきて、最初の事が起こる第1幕第3場の、実に危険なエロスの表現がロストロポーヴィチならでは。ヴィシネフスカヤはもちろん素晴らしいが、ゲッダのセルゲイはそれ以上。40年を経てもなお新しい、最高のセットだと思う。

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