ハイティンクは、シェリングとシュタルケルという両巨頭とその10年ほど前に同曲の録音を行っており、これがまた素晴らしい演奏であったが、新しくはパールマンとロストロポーヴィチとの共演によるもので、前者と同じくあくまで伴奏者として黒子に徹したものかと思いきや、ここでの彼の棒は一層の充実度を見せ、(十分に知る)音楽を縦横に奏で、果敢に挑戦している点が好ましい。
ブラームスの二重協奏曲を初めて聴いたのは、パールマンとロストロポーヴィチによる録音だった。若気の至りで、ブラームスの、あの渋すぎる、仏頂面と同じような匂いを醸す音楽に最初は辟易したものだが、繰り返し聴くうちに、むしろブラームス独特の、内にこもる粘着質の音楽に愛着を覚えるようになった。僕のブラームス開眼の引き金は、間違いなくパールマンとロストロポーヴィチによるものだ。
第1楽章アレグロから堂々たる、地割れのような厚い音に感無量。
きりっと締まるパールマンの音と図太いロストロポーヴィチの音が一心同体のように絡む。そこにハイティンク統べるコンセルトヘボウ管弦楽団の柔らかくも直線的な音。これぞブラームスの本懐。そして、第2楽章アンダンテの夢、さらには、終楽章ヴィヴァーチェ・ノン・トロッポの生命力。
人と人とが交わり、創造する音楽の熱。
ブラームス円熟の、渾身の作品がかくもパッションをもって表現される様子に、音楽の力と癒しを思う。