リヒテル ベートーヴェン ディアベッリ変奏曲作品120(1986.6.17Live)

アントン・ディアベッリの提示した軽快なワルツに極めて高度な33の変奏を付したベートーヴェンの天才を、あるいは深層を僕はしばらく理解することができなかった。

《ハンマークラヴィーア・ソナタ》(Op.106)を1819年1月に書き終えた後ほどなく《ディアベッリ変奏曲》(Op.120)を手掛けるも、大公にミサ曲献呈を約束したため1819年4月からそれに集中するのに伴ってOp.120は中途でとりあえず放棄することとなる。ミサ曲がクレドまでさしかかったとき大司教就任式当日を迎え、ベートーヴェンとしては「ミサ・ブレヴィス」だけの上演をおそらく考えたが、現実はそうはならず、そしてミサ曲の集中的な作曲はいったん中止した。さしあたって1820年3月から秋まで半年ほど、「パンのための仕事」、ピアノ・ソナタ(Op.109)とピアノ・バガテル(”Op.119”-7~11)に取組んだ。
大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築3」(春秋社)P980

ちょうど200年前のベートーヴェンの創造力の奇蹟。「パンのための仕事」と本人は揶揄するが、楽聖の手になる作品はどれもが一切の手抜きなく、人類の至宝となった。それにしても、後期ピアノ・ソナタや「ディアベッリ変奏曲」が、最高傑作のひとつ「ミサ・ソレムニス」とほぼ並行して書かれたという、にわかには信じられない事実。「ディアベッリ変奏曲」は、いわば俗的なる主題に、心底の敬虔なる、聖なる音を織り込んだもう一つのミサ曲といっても過言でないだろう。

スヴャトスラフ・リヒテルを聴いた。
何と軽やかで前のめりの大変奏曲であることか。

演奏会のあと、楽屋にコンチャロフスキーが現われ、《ディアベッリ変奏曲》はベートーヴェンの最も強烈な表現力を持つ音楽だ、期待どおりの演奏だったよ、と告げてくれた。しかし本当のところ、私の演奏はいつもより下手だった。
ユーリー・ボリソフ/宮澤淳一訳「リヒテルは語る」(ちくま学芸文庫)P154

・ベートーヴェン:アントン・ディアベッリの主題による33の変奏曲ハ長調作品120
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)(1986.6.17Live)

アムステルダムはコンセルトヘボウでのライヴ。
リヒテル曰く、コンチャロフスキーは、《ディアベッリ》に物語を想像したのだが、それは実はメイエルホリドによって吹き込まれたものだという。

僕は、リヒテルの弾く「ディアベッリ変奏曲」の、特に第20変奏以下にシンパシーを覚える。何より第24変奏フゲッタ(アンダンテ)の夢みる美しさ!

ベートーヴェンは大きな円だ。完全なシンメトリーを持っている。ところがこれを習得するのは難しい。ファリクが教えてくれたよ。円は両手で描くべきだってね(宙で弧を描く)。2つの鍵盤をイメージするのだ。
~同上書P161-162

真ん丸を描いてみてほしい。
円を描くとき、人はどこを意識するのかというと、(目には見えない)中心だ。それぞ「空(くう)」。ベートーヴェンは「空(くう)」であり、「調和」の権化なのだと思う。

あっという間に過ぎゆく52分。中庸の、さりげない哀しみに覆われる第3変奏リステッソ・テンポの憂いに感無量。

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