トスカニーニのワーグナー。
戦前のバイロイト音楽祭にまつわる様々なエピソードは、まるで架空の小説を読むほどに面白い。ヴィニフレートを中心にした嫉妬や恋、いかにもという錯綜した人間模様が渦巻くのである。1931年のバイロイト。
「様々なことがワーグナーの本来の意図から離れ、識別不可能なほど歪曲されている(・・・)(残念ながらここも例外ではない)」。「ここの仕事を続けるのか、どこまでつきあえるのか、疑問を持っている」
~ブリギッテ・ハーマン著/鶴見真理訳/吉田真監訳「ヒトラーとバイロイト音楽祭―ヴィニフレート・ワーグナーの生涯(上・戦前編)」P240
フルトヴェングラーのバイロイトからの私信にはそうあるようだ。
もちろんトスカニーニにも同じく不満はあった。
トスカニーニもまた、バイロイト初出演のフルトヴェングラーが《トリスタン》の初日で華々しい成功を収め、賛美歌のような批評を得たことに腹を立てていた。
~同上書P240
そして、興味深いのがトスカニーニにまつわる本人と周囲の回想だ。
長い時が流れた後、トスカニーニはフリーデリントに、当時の彼は「気も狂わんばかりに」ヴィニフレートに恋していたと打ち明けた。彼はバイロイトで毎朝彼女の姿を見ることを楽しみにし、彼女のナチへの熱狂すらほとんど許そうという気持ちでいた。年老いてもなお、「彼は、彼女と恋愛関係になる勇気を持たなかったことを後悔していた」。トスカニーニの告白に対するフリーデリントの意見はそっけない。「自分もトスカニーニと同じくらいに、いえ、彼以上に残念に思う。彼に勇気があったなら、全てが違う方向へ動いたかもしれないから。どんな男性であれティーティエンより遥かにましなのだから」。
~同上書P241
音楽家たちの感性、というか思念はまるで子どものよう。
熱狂といえばそれまでだが、実に俗物である。
そして、次のような結末が訪れる。
ヴィニフレートの見解はこうである。「トスカニーニは決められた時間を守ることができなかったのです。リハーサルの終わりになっても好きなだけ時間を延長し、ここまでやってもまだ何もまともに演奏できないと首をひねってみせるのです」。そのうえ彼が連れてきたアシスタントは無能で、楽譜を紛失し、さらに時間を30分無駄にした。「この失われた30分が、8月4日の最終的な破局を引き起こしました」。怒り狂ったトスカニーニが指揮棒をへし折ってホールをあとにし、劇場からも出て行ったのだ。
~同上書P242
感情と感情がぶつかり合うドラマのような事件の経緯に逆に感心する。
おそらくリヒャルト・ワーグナー自身にもフルトヴェングラーやトスカニーニのような、極めて人間っぽい、我執にまみれた思念があったのだろうと想像される。
フルトヴェングラーのワーグナーとトスカニーニのワーグナーの解釈、少なくとも外面的稿に関しては両者は異なる。しかし、音楽に通底する強烈な情熱は、他のどんな指揮者をも凌駕する。
いずれもカーネギーホールでの録音。
「パルジファル」からの2曲ですら決して抹香臭くならないのが、血沸き肉躍るトスカニーニのワーグナー。音波は外に拡散し、音熱は内に収斂する見事なワーグナー。戦後のトスカニーニの演奏には一種の悟りがあるように僕には思える。中でも興味深いのは何と「ファウスト」序曲! 夢幻の音調が、トスカニーニの粘りの解釈と相まって、「さまよえるオランダ人」と双生児的な、実に官能的な音楽へと昇華されている。