カールは生真面目な芸術家肌で、オルガンのパイプを調整していた父親と同じように、楽曲を丁寧に仕上げていく。彼女(マルタ)は写譜の難しい仕事に没頭した。彼は戦後ヨーロッパの文化的混乱期に、できるかぎり基本を守りつつ業績を重ねていった。毎日のように日記を書き、四カ国語で書簡を書き送り、演奏会で指揮棒を振り、演奏会の終わった楽屋では控え目だった。
この芸術家は風邪を引きやすく、年を重ねるとときには心気症に陥ったり、出演を断らねばならないほど衰弱することもあった。その妻は深い愛情と賢さで常に夫を見守っていったが、あえて厳しく元気づけねばならないこともあった。晩年、関節症の激しい痛みに苦しむカールを、マルタはあらゆる努力を惜しまず支えたのである。
~ミシェル・シェヴィ著/扇田慎平・塚本由理子・佐藤正樹訳「大指揮者カール・シューリヒト―生涯と芸術」(アルファベータ)P117
内助の功は、芸術に貢献する。
ときに厳しく、ときに優しく表現されるカール・シューリヒトの音楽は、颯爽とした、即物的な印象の中に常に慈愛を垣間見せるのは、凡事における妻マルタからの無条件の愛の絆ゆえなのだと思う。
ベートーヴェンの交響曲第2番ニ長調作品36。
厳しくも堂々たる第1楽章序奏アダージョ・モルトの剛毅と理想的なテンポで開心する主部アレグロ・コン・ブリオ。素晴らしいのは、第2楽章ラルゲットの安寧。そして、冷静な中に、火を噴くほどの終楽章アレグロ・モルトの集中力。
後年の録音に比べ、バックハウスのピアノが第1楽章アレグロ・ノン・トロッポから挑発的。いや、というより、むしろ若々しいのである。そして、カール・ベームの伴奏に比して、シューリヒトのそれは、ピアノを果敢に牽引するかのように音を鳴らす。何という躍動か。白眉は、空ろで、夢みるような音調を、管弦楽とピアノが対話するように進む第3楽章アンダンテ。
そして、前のめりに突進する終楽章アレグレット・グラツィオーソの勇敢さ。
彼は深い判断力と美しい歌を求め、すべての声部を聞かせる技、音楽の勢いを途切れさせず進めていく独自の指揮で、抜きん出た存在だった。ジョセ・ブリュイールの言葉によれば、シューリヒトは、「音楽に仕える、慎み深く、同時に威厳ある司祭」であった。
~同上書
カール・シューリヒトの生み出す音楽は優しい。