手塚治虫実験アニメーション作品集

山田由美子氏の著書の中で思いがけず膝を打つ文章に出逢った。

しかし、ヘンデルが目指していたものは、音楽家としての名声でも大成でもなく、音楽による世界の感化であった。いったん拠点をイギリスに定めた以上、最後まで留まって責任を全うすべきであると考え、オラトリオへの転向も、確たる指針に基づいて行ったようである。
「原初バブルと《メサイア》伝説」P262

この言葉にヘンデルの全てが集約される。後の天才たちがヘンデルを尊敬したのも彼のこのエネルギーによるものだと思われる。つまり、ヘンデルが自身の生きる術よりいかに他、世界を想い注力していたかということ。こういう人物に人々が憧れないはずがない(まるで坂本龍馬のよう)。

「利他意識」というのは昨今よく言われる言葉だ。しかし、「利他意識」というのは持とうと思って持てるものではない。まず自律的精神の上に成り立つものゆえ、自身の軸が定まり自律的に生きていないことには無理。しかし、ヘンデルは若き頃より独立独歩の精神で生き、常に背水の陣で何事にも挑戦を怠らなかった。為るべくして成っているのである。世にいう天才は皆そう。

山崎潤さんから手渡された荷物にDVDがあった。これは僕にとにかく観ろという合図だったよう。それは、手塚治虫の実験アニメーションが収録されたマニアックなもの。観て目から鱗が落ちた。感動した。「火の鳥」や「アドルフに告ぐ」、「陽だまりの樹」など人一倍手塚作品にはシンパシーを覚えてきた僕だが、この映像は観たことがなかった。ともかく「衝撃」の一言に尽きる・・・。

手塚治虫実験アニメーション作品集
・ある街角の物語(1962年)
・おす(1962年)
・めもりい(1964年)
・人魚(1964年)
・しずく(1965年)
・展覧会の絵(1966年)
・創世記(1968年)
・ジャンピング(1984年)
・おんぼろフィルム(1985年)
・ブッシュ(1987年)
・村正(1987年)
・森の伝説(1987年)
・自画像(1988年)

ショスタコーヴィチの「ジャズ組曲」風の音楽あり、「牧神の午後」あり、「ラ・ヴァルス」あり、・・・と当時としては革新的な音楽をBGMとして使用する。
例えば、「展覧会の絵」。冨田勲のアレンジ版を使用するが、後のシンセサイザー版と編曲を異にする。とても50年近く前のものとは思えないほどの斬新さで、これがまた粋。
あるいは「村正」の後半部に突如流れる「般若心経」。羯諦羯諦波羅羯諦(ぎゃーていぎゃーていはーらーぎゃーてい)。
他の超短編ものも各々風刺に満ち溢れ、数十年を経た今観てもまったく廃れない。アニメーション的にも数々のチャレンジが施される。ひとつとして陳腐なものがないところが神業的。

なるほど。「天才」といわれる人々の創造物の共通点は「時空を超える」ということだ。手塚治虫には「漫画による世界の感化」という使命があったのだろう。そしてそのことを最初からご本人は自覚されていた。そういうものには命が宿るのだ。

 

 


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2 COMMENTS

ヤマザキ

以前岡本さんも冨田勲がお好きと聴いたような気がしたのでDVD押し付けてしまってすみません。手塚治虫は「鉄腕アトム」などの商業アニメを作る前から、マンガで稼いだお金で実験アニメを作っていました。「展覧会の絵」もその一つで最初ラヴェル編曲を使ったのですが、当時版権が高くて急遽冨田勲に4日で作ってくれと頼み込んだとのことです。時間の無いこともありチェンバロを多用した線画的イメージで作曲されて非常にユニークな編曲になりました。

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岡本 浩和

>ヤマザキ様
いえいえ、こちらこそありがとうございます。
冨田勲も好きなのですが、手塚治虫はもう神のような存在でして・・・。
この「展覧会」にまつわるエピソードも初めて知りました。
なるほど、急場しのぎの編曲とはいえ、それがまた味を出していてとても良かったです。
最高です。

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