MOMOSalon「夏の夜の夢」

昨晩、宗像智子さん主催のMOMOSalonイベントで「早わかりクラシック音楽講座」を開催させていただいた。「夏の夜の夢」と題し、ショパン、リスト、シューマン、ブラームスやドビュッシーの小品をお届け。
すべての芸術は負の美学が根底に流れるものだと思うが、偶然にも上記の作曲家たちはいずれも「ただならぬ女性遍歴」を背景に名作を残した天才たちである。現代の、常識的な思考では決して推し量ることのできない事実が名曲誕生の裏側に潜んでいるのだろうが、多くの書簡や日記が残されているとはいえ、本当のことは当人同士でしかわからないもの。シューマンやリストなどは手紙も多数残されており、克明に彼らの足跡を追うことは可能だが、例えばブラームスなどは自分が書き残したものや相手(特にクララ・シューマン)から受け取った手紙類のほとんどを処分しているものだから、結局どういう関係だったのかは想像するしかない。実際にはどこまでのどういう関係だったのか、後の世の誰にもわからないことなのだが、それはそれでまた聴く者の好奇心を掻き立て興味深い。
いずれにせよ、西洋クラシック音楽を聴くうえで時代背景や作曲家の生い立ち、あるいは残された日記や書簡について知っておくことが作品理解の重要な要素であることは間違いないように僕は思う。

それに「恋」。愛の形がどんなものであれ、人が人を好きになるという感情は一番素敵なものじゃなかろうか。誰もがいくつになっても恋をしたいと思う。生きがいを感じ、元気になるから。特に、音楽家の世界というのは、真正面からの正当な恋愛であれ、不倫のようなものであれ、作品創出のためのエネルギー源がそれなんだということが最近一層理解できるようになった。昨晩最後に弾かれたブラームスの作品118-2。60歳のヨハネスが、74歳のクララを想って書いた作品だと思ったとき、胸が締め付けられた。

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番ニ短調作品15
アルトゥール・ルービンシュタイン(ピアノ)
ズービン・メータ指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

若きブラームスが、これまたクララを念頭に置き書いたこの作品には、晩年の枯れた味わいとは異なり、熱愛というより「母親への思慕」に近い感情が全編に横溢する。
意外にも音量をできるだけ抑え気味で幼子を愛撫するかのように進行する(これは録音の関係もあるのかどうかそのあたりは不明)昔から有名なルービンシュタイン&メータ盤を聴くと特にそんな思いがより一層伝わる。
ブラームスの精神の根底に流れるものは、やはりマザーコンプレックスなのか。両親から深い愛情を得られなかったという心の傷が音楽にも投影され、それがまた傑作を生む原動力になる。母という存在、そして尊敬する女性の存在・・・。

3 COMMENTS

雅之

こんにちは。

先程はTELありがとうございました。お礼に少しだけ。

最近、1870年製シュトライヒャー・ ピアノをハーディ・リットナーが弾いた、ブラームス:後期ピアノ作品集SACD
http://www.hmv.co.jp/product/detail/4079436
を聴きました。
この素朴かつ純粋な響きでの名演こそ、私の理想とするところかもしれません。

暑苦しくてうっとおしいブラームスの曲こそ、オリジナル楽器で聴きたいです。

そこのフルコンや合コンの大好きなあなた、ブラームスには地味コンもいいかもよ。

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
アタッカ・カルテット、ご都合良いようでしたらぜひお出かけください。
あと、素敵なSACDのご紹介をありがとうございます。

>暑苦しくてうっとおしいブラームスの曲こそ、オリジナル楽器で聴きたいです。

なるほど、いいかもしれません。

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