先般亡くなられた立花隆さんの、武満徹さんへの膨大なインタビューをまとめたノンフィクションが実に面白い。読み進めるにつれ、作曲家武満徹の博識と、本質をとらえることのできるセンスがあってこその彼であり、またそれが彼の作曲活動の本懐であり、だからこそ彼が世界的な、前代未聞の、唯一無二の作曲家として認められたのだと大いに納得した。
傑作「ノヴェンバー・ステップス」誕生にまつわる秘話の中で武満は語る。
西洋音楽の音というのは、機能主義的にとらえられた音なんですね。だから符号化が可能なんです。譜面に記された曲は、誰が弾いても同じように弾ける。もちろん演奏者によって、多少の個性のちがいはあるけど、ピアノのドの音は誰が叩いてもドの音です。ところが邦楽器の音は、そうじゃないんですね。Aの人が弾く音とBの人が弾く音はぜんぜんちがうんです。誰でも譜面どおりに弾けば同じような音が出るというものじゃないんです。そもそも邦楽器は音をちゃんと出すことがむずかしい。音が出せたとしても、自由度の幅がものすごくあるから、譜面どおりに演奏したからといって同じように聞こえる演奏にはならないんです。
~立花隆「武満徹・音楽創造への旅」(文藝春秋)P493
西洋楽器と邦楽器の統合がいかに難しかったか、その根本の理由が具に語られる。それは、そもそもの文化的な成立事情、思考の差異、すなわち西と東が両極だという真理を正しく彼はとらえ、その上で、どちらにも偏ることなく自身の音楽を形成しようとした意思に僕は瞠目した。
西洋や中国では、楽器はより正確な音程が出せるように進化してきた。だから論理的な音楽を作っていくことができた。ところが日本では音が曖昧だから、論理的な音楽を作ることができない。その代り、日本では、曖昧さ、音の出にくさを逆に利用して、一つ一つの音に複雑微妙な味わいの音色をつけて、それを評価するという方向にいったわけです。日本では『一音成仏』なんてことをいいますよね。一つの音の中にすべてをこめてしまう。ああいう考え方というのは、西洋には絶対にないものです。
~同上書P494
ロジカルとシステムの違いはおろか、大自然と一つにならんとする日本的思考と自然と対峙することで世界を形成してきた西欧的思考を混淆させる術を正しく披瀝できたのはやはりこの人しかいなかったということだ。
つまり、日本の音楽は、限りなく自然に近づき、自然と同化してしまうことをもってよしとするところがあるわけです。尺八の名人が、竹やぶに風が吹いて、自然に竹の古株が鳴るような音をもって理想とするなんていうのは、その典型ですよ。芸術はあくまでも人間的な営みでなくてはならないと考えて、人工物の世界を自然と対立させてよしとする西洋の文化的伝統とは対極にあるわけです。音楽だけじゃなくて、建築もそうだし、絵画だってそうですよ。生き方の問題だってそうですね。西洋文明の論理は、自然を力づくでねじふせようとする自然の征服の論理です。自然と人間の関係のちがいというのが、西と東の文化のちがいの最大のポイントじゃないかと思いますね。
~同上書P497
そう考えると、武満徹が割合に早く亡くなってしまったことが残念でならない。もし彼が21世紀の今生きて、第一線で活躍していたならば、音楽を通じて世界はもっと別の方に向き、変わっていたかもしれないゆえに。
そんな武満が影響を受けた作曲家の一人がクロード・ドビュッシーだ。もちろん彼はドビュッシーにただ影響を受けただけではない。むしろ、ドビュッシーの方法を参考に、自らの地平線を切り開こうとした挑戦者だったといえる。
ドビュッシーの影響というのはぼくには強くて、ドビュッシーを聴いたり見たりしていると、現代音楽は非常に細分化されて電子音楽にまできてるし、ぼくもそっちのほうに片足つっこんでいるんだが、もう一方で、今までの調性という意味じゃなく、もっとパントナールな音楽というものを考えるわけです。
~同上書P502
おそらくドビュッシーも当時、武満と同じようなことを考え、それまでの常識を覆そうと自身と闘っていたのではなかったか。
ベートーヴェン以後、交響曲の新作無用はいわば証明済みだと私は思っていた。とにかく、シューマン、メンデルスゾーンの作例をみても、交響曲は同じ形式の取り澄ました、生気を欠いたくり返しにすぎない。しかしながら、『第九』は天才的な道標であり、見なれた形式にフレスコ画のあの調和のとれた拡がりを与えて、あの形式を大きくし、解放しようとするすばらしい意欲を示している。
(「ラ・ルヴュ・ブランシュ」1901年4月1日)
~杉本秀太郎訳「音楽のために ドビュッシー評論集」(白水社)P13-14
ドイツ音楽へのある種辛辣な攻撃である。そして彼はまた「音楽の方向」と題する論で次のようにも書いた。
フランス音楽に対して望みうる最良の方向、それは次のようなことです。現在、学校でやっているような和声学の勉強が廃止される日を迎えること。あんなものは、世にもあっぱれ見事に滑稽な、音集めのやり方にすぎませんから。あれは、音楽家という音楽家が誰も彼も、きわめてわずかな例外を除けば、みな同じやり方で和声を処理するところまで、書法を画一化するという重大な欠点を見せています。
(「ムジカ」1902年10月)
~同上書P56-57
サー・ジョンのドビュッシー、そしてラヴェル。
音楽への共感が手に取るようにわかる。水面煌めく情景を髣髴とさせる「海」は、動と静を見事に描き分けるバルビローリの棒の技。ドビュッシーの革新が鮮烈に語られる様に感動を覚える。
そして、ラヴェルは「ダフニスとクロエ」第2組曲のあまりの美しさと舞踊の激情。その色香と官能は「ラ・ヴァルス」に引き継がれ、2年前に録音された「マ・メール・ロワ」の可憐なファンタジーの世界と同期する。
再び武満の言葉を引用しよう。
ぼくはドビュッシーのマニュスクリプト(手稿)や、好きな作曲家の手書きのファクシミリなどを、かなり高価なものだったりするけれども、なんとか少しでも買って見るのです。ふだんは出来上がったスコアしか見ることがないのだけれども、たまたまそうしたものを見ると、ドビュッシー等の作曲家もぼくと同じようなことも考えていて、消したりなんかしているのがあるんです。彼の内面のいろんな運動がわかるのです—実際に出来上がった作品よりも。ほんとは出来上がった作品からそれを感知しなければいけないのでしょうが、『牧神の午後』のファクシミリを見たりすると、ドビュッシーもときどき英語を書いたりしているのです。ファクシミリですから用いられているインクの色がはっきり再現されていて、また削除された個所等がボヤーッとしていたりする。そうした青とか、セピアとかのインクの色を見ていると、彼の心の動き、非常に微妙な動きが、かなりはっきり伝わってくるのです。それで言葉というかイメージといったものについて考えさせられます。
~立花隆「武満徹・音楽創造への旅」(文藝春秋)P503
創造には洞察力と直観力が必須だということだ。ドビュッシーもラヴェルも同じくただの人間だった。しかし、彼らに共通してあったのは洞察と直観を伴った進取の精神だ。武満徹も同じく。