自信に満ちた音が、ものを言う。
野太いチェロの音色は、僕たちの知覚を扇動する。また、空ろなピアノの音は、僕たちの本性を覚醒させる。なるほど、肉体と魂とは一体なのだ。
天才的な技術を得て、作曲家の創造力は一層刺激され、再現においてもただならぬ、鬼気迫る演奏が一貫する。喜びも悲しみも、ときには怒りすら刻印される劇的ソナタ。
さかのぼること1934年11月に、交響曲第4番の第1楽章に着手したが、一時的に中断していると、作曲家は打ち明けている。その後、その完成を、オペラ3部作中第2作目の作曲とともに、1935年主な仕事のひとつにしようという計画を立て、その交響曲を「すばらしい着想に富み、大いなる情熱を感じさせる記念碑的標題音楽」として心に描いた。
~ローレル・E・ファーイ著 藤岡啓介/佐々木千恵訳「ショスタコーヴィチある生涯」(アルファベータ)P129
傑作交響曲第4番の萌芽は、記念碑的標題音楽として作曲家のうちに現れた。
私はソビエト版「ニーベルングの指環」を書きたいと思っています。女性を主人公とする4部作のオペラになる予定で、「マクベス夫人」が「ラインの黄金」の代わりとなります。それに続くオペラの中心となる人物像は、「人民の意志」運動におけるヒロインにするつもりです。3番目に登場するのは今世紀の女性です。そして、最後に現代のソビエト的ヒロインを描くつもりです。
~同上書P110-111
後の「ムツェンスク郡のマクベス夫人」に対するプラウダ批判のせいもあろうか、交響曲第4番の封印のみならず、計画された4部作もすべてが水の泡と化したのだが。それにしても女性を主人公とする4部作オペラを計画していた点が、いかにもショスタコーヴィチらしく、興味深い。
そして何より血気盛んな(?)、創作力旺盛のこの時期の作曲家の動向が破天荒でまた面白い。
1934年5月末に、レニングラードで10日間にわたって国際音楽祭が開かれた。ショスタコーヴィチの音楽がその目玉であった。・・・(中略)・・・その祭典は音楽そのものとは別の点で重要な意味をもった。ショスタコーヴィチはその音楽祭の通訳の一人である、20歳の大学生エレーナ・コンスタンチノフスカヤに恋をしたのである。
~同上書P112
恋多き作曲家は、ある種病気だったのか?
豪放ながら繊細なショスタコーヴィチ音楽の内にある色香は、彼の持つ色気の投影か。
8月半ばにモスクワ経由で帰宅する途中、ニーナは離婚を口にした。それに対し作曲家は、まずい対応を示した。彼は不快な状況に直面することをひどく嫌った。数日後、妻に続いてレニングラードに帰ってきた彼は、妻との関係を修復した。だがエレーナと会うことを止めず、1935年には公然とコンサートや公的催しで彼女に付き添い、しばらくのあいだ、漫然と彼女との結婚を考えていた。
~同上書P113
魑魅魍魎たる壮絶な音楽が生み出されるかと思えば、可憐で幸福感に満ちる作品がほぼ同時に創出されるのは、作曲家の恐るべき生命力によるものだろう。そのあたりの天才は、実にベートーヴェンと相似形だ。
美しくも愛らしいチェロ・ソナタニ短調。
名手ロストロポーヴィチを擁した自演盤の驚異。
暗澹たる音調の中に、筆舌に尽くし難い開放感と喜びの表情が感じられる演奏に、僕は太鼓判を押す。確たる自信の中で創造される奇蹟の瞬間だ。第2楽章アレグロの喜劇たる現実、そして、第3楽章ラルゴの夢想、すべてが青年ドミトリーの魔法に包まれた大いなる恩恵だ。