陽気な音楽こそダリウス・ミヨーの本懐。
音は外に弾け、宙に舞う。ときに内省的ではあるものの、音調は決して暗くはならない。それこそいつどんなときも光を放つ。
彼は多作家だった。彼は様々な方法を駆使した。
すべてが傑作とは言えまいが、それでも美しい旋律あり、破天荒なリズムあり、そこには愉悦と哀惜があった。
もう何年も前、マルタ・アルゲリッチとネルソン・フレイレのデュオ・リサイタルで聴いたミヨーの組曲「スカラムーシュ」が忘れられない。それこそ踊るように奏された、あの爽快な音楽はほかでは一度も聴いたことのないような音調に包まれたものだった。
モリエールの児童劇「空とぶお医者さん」のために書いた付随音楽から数曲抜粋し、2台ピアノのために改作した組曲「スカラムーシュ」のウィットに富んだ楽しさよ(ラテンの響きがまた壮快)。
一方、ベラ・バルトークに倣った2台ピアノと打楽器のための協奏曲の、不協和音を伴う音楽にある(暗い)洒落たリズムの軽快さ。何という対比なのだろう。
そして、フランシス・プーランクのソナタの荘厳さ。
特に、第1楽章プロローグにある、思い詰めたような重い音調に、ジョワとロバン=ボノーの巧みな一体の表現を思う。あるいは、第2楽章アレグロ・モルトに秘められた哀感よ。そして、第3楽章アンダンテ・リリコに響く聖なる祈りに僕は言葉を失くす。終楽章エピローグは、生を謳歌する希望の歌だ。