クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管 モーツァルト 交響曲第33番(1965.9録音)ほか

詩人の宗左近が、モーツァルトについて次のような言葉を残している。

モーツァルトについては、ひどくしゃべりにくい。あまりにも数多くの輝かしい個性が、200年にもわたって述べたてすぎている。ヴァレリーがスタンダールについて書いたところをもじって、モーツァルトについて語れば際限ない、これにまさる賛辞があろうか、そういったなり後は口をつぐんでいるに越したことはない。
~「私のモーツァルト」(共同通信社)P188

真理と同様、傑作は言葉で表現できるものではない。
もう何十年もモーツァルトに触れてきて、果たして今頃になってようやくその価値がほんの少しだが、解るようになってきたように僕は思う。

中でも、オットー・クレンペラーのモーツァルト。
ただひたすらに、自身の感性のおもむくまま、しかし、重厚に奏でられるモーツァルトは、どの瞬間も高貴で、かつ美しい。可憐な音楽が堂々たる威容で再現されるとき、僕は思わず唸り声を上げる。

モーツァルト:
・交響曲第33番変ロ長調K.319(1965.9.20, 21&23録音)
オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
・交響曲第34番ハ長調K.338(1963.10.18-19録音)
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団
・交響曲第40番ト短調K.550(1956.7.21&23録音)
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団
・フリーメイスンのための葬送音楽K.477(1964.11.9&14録音)
オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

あまりに知られた交響曲ト短調の、内なる憂愁を蹴散らし、むしろ希望を前面に歌う音調に、さすが(?)躁鬱病を持っていたクレンペラーだと思った。言葉にならないこの明るさはクレンペラーならでは。そして、哀感満ちる、力強い葬送音楽の、やはり内側から沸き立つ歓喜(?)もクレンペラーの偏屈さから出たものなのか?

最高の名演奏は、交響曲変ロ長調K.319。第1楽章アレグロ・アッサイの、例のジュピター音形の現われる瞬間の何とも表現し難い心地良さ!!クレンペラーはとことんモーツァルトに感じているようだ。続く、第2楽章アンダンテ・モデラートの格別な重厚さ。弾け切らない、あるいは踊らない第3楽章メヌエットは、純粋音楽のよう。そして、終楽章アレグロ・アッサイは実に崇高な調べを醸す。

人気ブログランキング


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む