ラファエル・クーベリックのドヴォルザークは刺激的だ。
音響は隅から隅まで研ぎ澄まされ、音楽は常に前のめり。どの曲にもそんな先鋭的な印象を僕は受ける。
外国から見た祖国はいかに。
あるいは、外国人から見た彼の国はどんな風に見えるのか。
やがて私は日本を去らねばならなかった。私達は高崎に、また少林山の寓居に帰った。そしていま一度このあたりの風景や、ささやかな仮りの住居を包むなごやかな雰囲気、いつも変らぬ住職一家の親切や、そのほかみな良い人達の好意を心ゆくまで味った。
別れは容易でない。
私達はウラジヴォストックを経てシベリア鉄道でヨーロッパに帰ることにしたが、しかし東京を発つ日時をなるべく人に話さないようにしていた。しかしそれでも出発の日の東京駅には、日本で知り合った人達が列車のそばへ集まってきて、私達を見送ってくれた。帽子を手にし、厳粛な面持をした男子達は、ホームで列車の出発を待っている。また婦人達は日本の習慣に従って、そのうしろにつつましやかに立っていた。
やがて列車は、最も非芸術的に建設されたこの都市をあとにし、美しい入江と紺碧の海とのある日本のリヴィエラにさしかかった。これこそ西へ帰る異国人に別れの挨拶を送ってくれる最も美しい日本なのだ。
~ブルーノ・タウト著/篠田英雄訳「日本美の再発見」(増補改訳版)(岩波新書)P172-174
古来日本の美しさを見出したブルーノ・タウトの、帰国の際の憂いとでもいうのか、外国人が垣間見る「その国」の本当の姿というものを、後に託された僕たちは今こそ知らねばならない。そして、タウトは次のように続ける。
私達は、日本で実に多くの美しいものを見た。しかしこの国の近代的な発展や、近代的な力の赴く方向を考えると、日本が何かおそろしい禍に脅かされているような気がしてならない。私達は、日本人をこのうえもなく熱愛していればこそ、ますます痛切にこのことを感じないわけにはいかなかった。しかし私達がこの国で接した人々の高雅な趣味、温かい心持、厚い人情、また実に立派な態度から受けた印象から推して、この脅威的な禍もさほど重大に考える必要はないと思うようになった。
~同上書P174
実際、その後の1世紀近くで日本が被った禍を考えると、彼の直観は正しかったといえる。しかし、その流れもまた調和に向かう一歩だと知ったとき、タウトの推量もまた正しかったことがわかる。
クーベリックのドヴォルザーク。
ドヴォルザーク:
・交響曲第7番ニ短調作品70(1971.1録音)
・交響曲第8番ト長調作品88(1966.6録音)
ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団
ベルリンはイエス・キリスト教会でのセッション録音。
第8番ト長調作品88は若々しい、どちらかというと無暗な(?)前のめりさが少々鼻につくが、5年後の第7番ニ短調作品70は、その棒がよりこなれて、(曲調のせいもあろうか)一層充実した響きを保持する。
第1楽章アレグロ・マエストーソから音楽は陽気に満ち溢れ、聴く者に幸福感を与えてくれる。静かな第2楽章ポコ・アダージョの安寧。優しくも美しい旋律が、メロディメイカーたるドヴォルザークの真骨頂(指揮者の想いが真に迫る)。そして、可憐な第3楽章スケルツォを経て終楽章アレグロの、華やかな終結を締め括る大いなる魂の飛翔。
ラファエル・クーベリックのドヴォルザークは刺激的だ。