アルバン・ベルク四重奏団 ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第14番作品131ほか(1989.6.9Live)

演奏家がそれほど間隔を置くことなく同じ曲を再録する価値はどれほどあるのだろう?
もちろん愛好の演奏家であるなら、感覚が短かろうが長かろうが、どんな演奏でも聴いてみたいと思うのが好事家。

音楽的な表現ということで、2つの全曲録音にははっきりした違いはあるのか?

ひとつの、もちろんささやかな違いですが、私たちは速い楽章をほんの少しだけゆっくりしたテンポで演奏しています。そのおかげでひとつかふたつ発見があります。美しい森の小径を2回も3回も歩けば、新しい眺めや美しさを発見することでしょう。一つの道を頻繁に通れば通るほどますます人は新しいものを見、聴くものです。カルテットはたった4つの楽器ですから、こんなことを言うと滑稽に聞こえるかもしれませんが、私達は前とは違う関連、ディテール、色彩、明暗やデフォルメ、テンポの流れや転調の強調の可能性を見つけるのです。これらすべては作品をよりよく知ることで明らかになっていくのです。私たちはますます多くを発見し、体験し、作品をいっそう堪能できるのです。
(許光俊訳「ギュンター・ピヒラーのインタビューから」)
~TOCE-8180-83ライナーノーツ

ピヒラーの言葉に僕は納得した。ましてや新しい方は、ウィーンのコンツェルトハウスでのライヴ録音である。音楽がより一層生き生きと聴こえるのはそのせいなのかどうなのか。そしてまた、初期と後期の作品を対比させプログラミングする妙。このとき、一気呵成に録音されたコンサートの記録は、どれもがベートーヴェンの魂を芯から感じさせてくれる素晴らしいものだ。

分けても、作品131。
かつて五味康祐はこの曲について次のように書いた。

ベートーヴェンの音楽は、ついに、生き難さを知らぬ人にはわかるまい。彼の弦楽四重奏曲が惻々と胸にせまるのは、わけて作品131がぼくらに響いてくるのは、人はみな生きていたい、そのいじらしさに想いを到す時だろうとおもう。ベートーヴェンは、その意味では、不幸な音楽だ、と私は言う。つらさなど知らずにおくに越したことはないので、でも所詮、つらいおもいをせずには生きてゆけないのなら、ベートーヴェンほど、暖かい音楽はない。
五味康祐著「ベートーヴェンと蓄音機」(角川春樹事務所)P33-34

なんて美しい感性なのだろう。
ベートーヴェンの最晩年の音楽は生死を超越する。だから、とてもわかりにくい。しかし、死への恐怖がなくなり、今この瞬間を真に享受し、すべてを生かし、楽しく生きることができるなら、即ものになる。嗚呼、嬰ハ短調作品131よ。

ベートーヴェン:
・弦楽四重奏曲第4番ハ短調作品18-4
・弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調作品131
アルバン・ベルク四重奏団
ギュンター・ピヒラー(ヴァイオリン)
ゲルハルト・シュルツ(ヴァイオリン)
トーマス・カクシュカ(ヴィオラ)
ヴァレンティン・エルベン(チェロ)(1989.6.9Live)

7つの楽章が間断なく続く新機軸。
重篤な病による中断を超え、ベートーヴェンが生み出した、魂が真に迫る傑作四重奏曲。アルバン・ベルク四重奏団の演奏は厳粛でありながら、何と慈悲深い音なのだろう。第1楽章アダージョ・マ・ノン・トロッポ・エ・モルト・エスプレッシーヴォから温かくも清らかな世界が現出する。そう、ベートーヴェンの魂はすでに浄化に入っていたのだ。

人気ブログランキング


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む